不登校の息子と私③
私は簡単に考えていました。3ヶ月くらいしたら、元通りになると。なぜ3ヶ月なのかは分からないけど。
職場も人間関係が荒れに荒れていたため、自分の精神的負担が大きいと判断し、息子の〝死にそうなくらい寂しかった〟という言葉で退職を決意。
一緒の時間を過ごし、私自身も穏やかでいるように心がけていました。
ですが、3ヶ月たっても状況は変わりません。息子の表情もあまり乏しくないまま。朝の低血圧もあったため、小児科にも行きました。起立性調節障害は否定。
思春期外来に行こうか。と医師の判断でした。
担任や支援教室に相談に行ったり、ソーシャルワーカーに相談したり。ですが、どこも学校に戻すことを前提とした場所。
息子は適応支援教室へ通うのは拒否。私のほしい答えそこにありませんでした。勿論、息子の求めることも。
戻そう。思えば思うほどに閉じる息子の心。私はただ、表情を失った我が子の本当の笑顔を取り戻したかった。でも、やっぱり学校へ行ってるのが日常という意識が抜けていなかったんですね。
息子はわかっていました。その証拠に、私と話すのを避けて、二階で過ごすようになります。
父親からも逃げるように。父子の会話はこの時、ゼロに近かったように感じます。
子供にとって大切なのは母親との関係だけではありません。家族で一つのチーム。まずはここの意識の修正も必要であると感じました。
何よりも真っ先に変えるべきは私の意識。
口では何と言おうとも、子供はわかるんですよね。自分の意見など聞いてもらえないと。
そしてあきらめるんです。〝どうせ言っても無駄〟。自己肯定感も自己価値もズタズタに。
こうして様々なものに蓋をして、自分の世界に閉じこもってしまう。
これはかつての私の幼少期。
一度ついた傷は簡単には治らない。蓋をすれば化膿する。ジクジク、、、どんどん深く化膿していく。
全く同じではないけれど、大きく違わないと感じました。
その蓋が強固になる前に、なんとかせねば。そう思ったのです。
それこそ長年磨いた傾聴力を発揮すべき今。その前には話せる場作り。
話したいと思える存在へ。
私がそこに気づいてからしてきたこと。次から書いていきます📝