言葉のちから
息子に続き、娘が登校しぶりを始めたのが冬休み前。12月の学校での足の捻挫が始まり。その前からも兆候はありました。
少し良くなったと思えば冬道で遊んだり。(雪の誘惑には勝てなかったのかもしれないね。)捻挫はこじらせてしまったのか、完治に二ヶ月を要した。
その間は送迎。送迎時に教えてくれたのが
“学校は賑やかすぎるんだよね”。“玄関で混むのがいやだから、朝一で行って、静かな教室で一息つくのが大切なの”
幼少期の私と全く同じなのです(^^;)
それを聞いたときに、なんとなくこの子も始まるかも、、、と予感。
冬休みも明けて足も完治し、歩いて登校できるようになるかな?
日々の小さないやなことはありつつも、kanaiプレートアートをしたり、私がじっくりと話しを聞くことでなんとか乗り切って、登校のリズムになれてきた頃に感染が流行し、休校。
休校が明けると、朝の腹痛、起きてこられない。息子と同じ症状が始まりました。
こまめに担任の先生や教頭先生とも連絡を取りながら。本人は腹痛さえ軽くなれば行きたいとの意向もあり、遅れての登校。
“学校に行くと思うとね、緊張するの”
お友達との時間は楽しく、登校までクリアすれば笑顔で帰ってくる。自習休校もしている子もいて、オンラインで授業は受けられそうな状況。
別に無理にいかなくても良いかな。と思いつつ、本人の意志に沿いながら見守る日々。
よかった事は、朝の学校に連絡するときに、娘が自分で“今日は行く”、“今日は行かない”と自ら教えてくれるようになったこと。
体調をちゃんと伝えられて、自分で行くか行かないかを決めて、親に言うって結構凄いことだと思う。
息子の不登校に影響を受けないわけはなく。どこかにずるい、、。という気持ちはありながらも、自分には夢があるからと前を向いていく頑張り屋さん。
娘には、頑張りすぎなくても良いことを日々伝えていきたいと思っています。
最初から、これでいいのだという確信はなく、今でも迷いはあります。答えなんてないから。ただ自分の子をしっかり見て、話を聞いて、これば最善かな?毎日の選択です。
そんなときに、学校の先生からかけてもらった言葉。
“お母さん、間違っていないですよ。親が勝手に決めてしまうことも多い。自分で決められるお子様も素晴らしいのだけど、子供の意志に沿ってしてあげられる事はとても大切なことですから。”と。
満月の影響のせい。ごまかしてきましたが、自分のしてきた選択や、今自分がしている選択に自信などなく。結局は全ては最善にしかならないのだがら。というメンターの言葉を信じながらも、不安はあったのでした。
もしかしたら、毎日の電話から、先生も元気づけたいという気持ちもあったのかもしれません。何気なくかけた言葉かもしれません。
でも、かけてもらった瞬間に、つい涙した自分に、沢山押し込めてきた感情が出てきてくれたのでした。
感情は出てきて当たり前。でも、感じると頑張れなくなるからと、押し込めてきた感情たちでした。
学校側はどうしたって、学校に来てください。という立場であって、正直な気持ちをつい伝えきれない部分があります。
不登校の子供はもちろん、両親、、特に母親って孤独だなぁ。と思うのです。
学校を否定するつもりは全くなく。出来れば学校と連携をとりながらしていきたい所ですが、学校の先生の忙しい状況を考えると、なかなか大変だなぁと思います。
昔から、学校と家庭とは違う第三の場所が、子供たちには必要じゃないかと思っているのです。
娘は好きな習い事があるので、そこが娘にとっては第三の場所に。息子は、、、今のところない、、。
人かけてもらった言葉が、人生を変えてくれることは沢山あったので、様々な人と出会える場、ってとても大切だと思うのです。
そう考えると、将来的に自分がそんな場を作れたらと密かに思っています。今は学んで来た知識をシェアさせていただいたり、お母さんたちのサポートから、、、身近なところから一歩一歩、始めています(^^)♡
そんな感じで、今日も揺らぎながら生きている母さんでした。