企業不祥事 file.1 昭和電工事件
日経225採用銘柄にして、国内総合化学メーカーの一角を占めるレゾナックHLD(4004)。2023年に商号をかつての「昭和電工」から「共鳴する・鳴り響く」という単語の「RESONATE」と「CHEMISTRY」の「C」から生まれた造語である「RESONAC(レゾナック)」に変更した。
創業は1939年と戦前から続く化学メーカーである。2024年12月期の業績予想は、売上高:1兆4000億円、純利益350億円とその規模の大きさがわかるだろう。
そんなレゾナックだが、その拡大の裏では数多くの不祥事も存在した。今回は、戦後間もない日本の復興期に政財界を揺らした「昭和電工事件」を解説していきたい
事件の背景
太平洋戦争終結後の世界情勢は、アメリカを中心とする西側諸国(資本主義陣営)とソ連を中心とする東側陣営(共産主義陣営)との冷戦構造が横たわっている状態であった。1948年1月にはアメリカ・トルーマン政権の陸軍長官:ケネス・クレイボーン・ロイヤルが日本の過度な弱体化を指向するGHQに対日占領政策を批判し、「日本を極東における全体主義(共産主義)に対する防壁にする」として日本の経済復興を優先する旨の演説を行った。この背景には強力な圧力団体であるアメリカ対日協議会(ジャパン・ロビー)の意向もあり、逆コース(対日占領政策の転換)が進展した。
同じ時、日本国内では当時の民主党(旧自由党から離脱し、日本進歩党と合流して誕生)の芦田均を中心とする社会党・国民協同党との3党連立内閣が発足(1948年3月10日)していた。芦田は逆コースに乗じて外資の導入をもって日本経済の再建を図ろうとしていた。
当時の経済復興状況は主要産業と特定産業に資本やエネルギー資源である石炭などを重点的に注入することで経済復興を図ろうとする「傾斜生産方式」に基づいていた。
この資本・資源注入先に選ばれたのが「昭和電工」であった。昭和電工は復興金融金庫から多額の融資を受けるために政府高官に贈賄を行い、最終的に32億円という莫大な融資を受けた。
しかし、この莫大な融資に世間からは疑惑の目が向けられた。そのため、昭和電工の日野原節三社長が各党の実力者に事件の揉み消しを求めて贈賄を始めたのであった。
事件の発端
当時の昭和電工は肥料産業の大手であった。
(補足:昭和電工は森コンチェルンの日本電気工業と味の素(2802)傘下の昭和肥料の合併によって誕生した企業である)
傾斜生産方式の対象には肥料産業も含まれていた。昭和電工は自社の肥料工場の拡充を図るために、復興金融公庫から23億円の融資を受けた。昭和電工事件の発端となったのはここである。この融資に関して、政府高官に対して贈賄が行われていたのではないかとの問題が浮かび上がった。
これを受けて、1948年4月27日に衆議院不当財産取引特別委員会で高橋英吉(民主自由党)より、芦田均首相(民主党)・西尾末広副総理(社会党)・来栖赳夫経済安定本部長官(民主党)などの政府要人が昭和電工への不当金融、竹中工務店などの土建業者との間の不当な政治資金問題について関係があるのではないか、そのために政権も左右されるとの噂があるのだからこれを問題として取り上げよとの発言があった。
発覚の経緯
警視庁はかねてより昭和電工に不適切な資金の流れがあると見て内偵を進めていた。贈収賄などの「知能犯捜査」を行う警視庁捜査2課は、この問題が政界にまで影響を与えることを理解しながらも、1948年5月25日に昭和電工の帳簿を押収し、東京地検に引き渡した。容疑はカーバイト燃料に横流しであった。
なお、この捜査の過程でGHQの職員らも金銭を受領していたことが発覚。GHQ内の主導権争いや、GHQから警察への圧力もあった。
事件発覚後
1948年6月23日、昭和電工の日野原社長が逮捕され、東京地検の取り調べを受けた。5月末には、日野原社長の秘書・商工省(現在の経済産業省の全身)化学局肥料科第二課:津田信英技官・商工省化学局肥料科第一課:野見山勉課長らを贈収賄容疑で検挙すると、取り調べの結果、前年(1947年)12月に両名に対して現金数万円や高級服を贈賄したことが発覚した。
また、9月13日には高級官僚である大蔵省主計局長:福田赳夫(後の内閣総理大臣)を贈収賄の疑いで強制収用・起訴した。
捜査の手は高級官僚にとどまらず、政治家にまで及んだ。公職追放中だった松岡松平(元自由党総務)が17日に強制収用されると、18日には民主自由党顧問の大野伴睦(後の自由民主党副総裁、「政治は義理と人情だ」「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」などの名言で知られる大物政治家)も京都の旅館で逮捕された。大野伴睦は昭和電工からの贈賄を受けて、永田町での揉み消し運動を暗躍した人物であった。
10月6日には片山内閣で副総理を務めた西尾末広(社会党書記長)が百万円もの収賄を受けたとして逮捕されると、政局は急転した。社会党は6日の午後に中央執行委員会を開くと、内閣総辞職を党議として決め首相に伝達。翌日には、首相官邸で臨時の閣議において、疑獄事件に対する道義的な責任として内閣総辞職を発表。わずか7ヶ月の短命政権となった。
この段階で政財界の逮捕者は30名を超えていた。
芦田前首相逮捕
1948年11月27日、第3回国会の最終盤に東京検察庁は、芦田均(前内閣総理大臣)・北浦圭太郎(日本自由党)・川橋豊次郎(新自由党)の3代議士の逮捕を要求。議員運営委員会が29日に芦田氏らを呼んで説明を求めましたが釈然としないもので、議決は第4回国会に持ち越しとなりました。
第4回国会が12月になって始まると、東京検察庁は再度逮捕を要求。6日の衆議院本会議の採決において、土壇場での造反もあり、賛成140票:反対120票で承諾することとなり、7日に逮捕が執行された。
芦田前首相は天を指さして「心境は青空のごとし」と、集まった新聞記者に苦しい笑いを残して東京地方検察庁へ移動すると、堀検事正からの取り調べを受けることとなった。
興味深い判決結果
さて、この昭和電工事件の非常に興味深いところは、被告人への判決が異様に軽いことである。
総逮捕者64名のうち、37名が起訴された(他不起訴処分)が、有罪判決は日野原(昭和電工社長)・来栖赳夫(経済安定本部長官)・重政誠之(農林事務次官)の3名のみであった。他の政財界の人間は、贈収賄の存在を認めたものの、当時の贈収賄罪が成立しなかったのである。(後述)結局、実刑判決を受けた者はおらず、福田赳夫などは無罪確定後に政界進出を果たしている。
実際の公判では、2年3ヶ月にも及ぶ審理を経て、1951年に公判が開始された。52年に第一審判決、58~59年に控訴審判決、62年に最高裁判決と事件発覚から実に14年にも及ぶ長い裁判となった。
判決内容
日野原節三(昭和電工社長):懲役1年、執行猶予5年
来栖赳夫(経済安定本部長官):懲役8ヶ月、執行猶予1年、追徴金150万円
重政誠之(農林事務次官):懲役1年、執行猶予1年
日野原氏の判決は俗に「温情判決」と言われている。第一審では、懲役2年、追徴金5万円の実刑判決が下されているが、控訴審では懲役1年、追徴金5万円の実刑、最高裁では執行猶予がついている。
判決要旨には「本件は当時いわゆるA事件(昭和電工疑獄事件)として世人の耳目を聳動せしめた大事件であるが、その後の推移はA事件のB関係においては、収賄罪で起訴されたC、Dは無罪、E、F外五名は執行猶予となつている。叙上の諸事情(判文参照)を考慮するときは、被告人Bに対し実刑を科さなければ刑政の目的を達することができないものとは断じ難く、刑の執行を猶予するのが相当である。」
すなわち、本件で起訴された芦田均をはじめとする要人はみな無罪や執行猶予となっており、そうした状況から鑑みると、日野原氏だけに実刑を科さずとも刑政の目的は達せられると最高裁に判断されたわけである。
芦田前首相の無罪判決
日野原社長の温情判決と同様に、現在の刑政の観点から見れば非常に違和感を覚える判決が下されている。
これは芦田前総理に限らず、大蔵省主計局長の福田赳夫や他の政財界の被告人にも該当することであるが、彼ら自身は贈収賄が行われていたことを肯定しているにも関わらず、無罪を主張し、ましてそれがまかり通ったことであった。
その要因には、当時の贈収賄罪が成立するための要件として
①職務権限の有無
②賄賂性の認識
③金銭の受領
の3つを立証する必要があったことが挙げられる。
当時の平均年収が700円だった時代、数百万円にものぼる収賄罪を問われた芦田前首相は、金をもらって蔵相らに働きかけをしたことは認定された。しかし、その時期は首相になる前年の1947年で、外相だったので職務権限がないとして無罪になった。(上記の①の要件を満たさなかった)
また、当時の刑法には他の公務員(この場合は蔵相)に職務上の不正行為をするよう、間に入って斡旋(あっせん)する収賄行為には罰則規定がなかった。芦田被告の無罪が確定した58年に刑法が改正されて、斡旋収賄罪が設けられ、これまでの職務権限の有無に関わらず金銭の受領に対して罰則を科すことが可能となった。
所感
「Harvey Road presumption」という経学用語が存在する。「Harvey Road」とはイギリスの知的階級が集める場所であり、ケインズの政策提案もここから生まれた。「presumption」とは「前提・推定」を意味している。
「ハーヴェイロードの前提」と訳されるこの仮説は、「政府は民間経済主体に比べて経済政策の立案能力・実行能力に優れている」「公正無私な知的エリートが私情にとらわれず政策を実行する」というものである。
増税や裁量権の拡大を謳うケインジアンへの批判としてよく用いられるものだが、昭和電工事件もこの「ハーヴェイロードの前提」による批判が可能となる。すなわち、復興金融金庫から多額の資金を融資して経済復興を図る方式は、公正無私な知的エリートが資源を効率的に配分することで最大限の効力をもたらす。しかし、当該事件のような汚職が発生すると適切な資源分配が妨げられる。
現在、政府の経済政策に「補助金」が用いられているが、「ハーヴェイロードの前提」に立てば議員や官僚の政策決定は公正無私なものとなければならない。だが、現状を鑑みれば議員へのロビー活動や圧力団体の活動、献金などによって必ずしも公正明大な運用がされているわけではない。
昭和電工事件の時代よりは確実に規制は厳しくなっているがスキーム自体は存在する。企業としても、競争優位性を確保するための政治力が必要性が高まるなか、事件の存在を風化させずに投資家として企業を監視していくことが必要だろう。
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