”スポーツは食べていけない”は本当か?
アスリートが就活をするときに必ずぶつかる壁「スポーツは食べていけない」。あなたは「スポーツの経験を生かして食べていける職業」と聞いて何が思い浮かぶだろうか?教員、スポーツインストラクター、アスレティックトレーナー、理学療法士、鍼灸整骨院・・・僕のアスリート時代の友人が現在働いている職種を挙げてみた。しかし大半はスポーツとは関連のない一般企業で営業職に就いているのが現状だ。はたして本当にスポーツで食べていくことはできないのか?僕なりにまとめてみた。
フィットネスクラブインストラクター給料は19万/月
経産省によると2005年時の全職業の年収が約420万だったのに対して、フィットネスクラブのインストラクターの平均年収は約231万と約半分だ。月収換算すると約19万円なので手取りは15万ほどだろう。そのため、結婚や出産を機に離職する傾向にあるそうだが、そらそうだ!と思ってしまう。例えスポーツ経験が生かせる職業に就けたとしてもかなり低い収入で結果的に辞めてしまう。それが現実なのかもしれない。ちなみに僕の陸上時代の友人はリオオリンピックでメダリストになったが、出場前の年収はプロ契約して1,500万と聞いていた。さすがにメダルを獲ってから収入は増えただろうけど、0.0001%と言われる奇跡的な確率でメダルを獲れるようなアスリートでも年収1,500万ほどなのだ。
スポーツ指導者の雇用形態は約87%が非正規雇用
スポーツ指導者の雇用形態は、約87%が非正規雇用で給与も低く、雇用も安定していない。そのうち、個人事業主が6%、バイト/複業/スポットが約81%になる。フィットネスクラブインストラクターの年収が低いことからわかるように、基本的にスポーツで得た経験やスキルを使って生計を立てることは難しく、多くが兼業や独立をしており、正社員として安定的な収入を得ることは難しいことがわかる。
「スポーツで食べていく」には、本当に安月給の不安定な収入しか得られないのだろうか?スポーツにおける経済価値について調べてみた。
スポーツ市場「約3倍の15兆円」が政府の目標
日本におけるスポーツの市場規模は2012年に5.5兆円あった。これを2020年に11兆円、2025年には15兆円にすることがスポーツ庁が掲げている目標だ。広告市場が6.5兆円、コンビニ市場が11兆円なので、スポーツの経済価値・規模がいかに大きく、多くのお金が流れていることが想像できる。
※参照元「スポーツ庁:新たなスポーツビジネス等の創出に向けた市場動向」
アメリカのスポーツ市場は日本の約7倍の41兆円
アメリカにおけるスポーツの市場規模は2012年に約41兆円(4,177億ドル)と自動車産業をも超える規模の大きさだった。日本が5.5兆円なので日本に比べて約7倍の市場規模がある。当時の日本のGDP(約$6.2兆)とアメリカのGDP(約$16.1兆)の差は約2.6倍だから、国の規模からすると日本のスポーツ市場は相対的に小さいことがわかる。
市場規模的には食べていけそう。でも欠陥がある?
僕は広告業界に身を置いてきたが、それよりもスポーツ市場は大きく、十分すぎるほどの巨大マーケットであることがわかる。そんな市場の主役は「スポーツをする人(アスリート)」なわけだから、「スポーツで食べていく」ことは不可能ではない気がする。しかし、米国と比較してみても、もう少し市場規模は大きく発展していてもおかしくないことがわかる。この差に日本のスポーツ業界における構造的課題があるように思う。アメリカと比較して最も乖離がある領域が「アマチュアスポーツ」だった。
米国のアマチュアスポーツの市場規模は8,000億円。日本は計測なし。
米国のアマチュアスポーツの市場規模は8,000億円となっており、野球(MLB)7,500億、バスケ(NBA)4,800億より大きい。いかにアマチュアスポーツが社会システムに組み込まれ、学生も早くからスポーツにおける経済価値、社会的価値を感じながらスポーツをしていることがわかる。
一方、日本はというと2012年まで計測自体しておらず、ようやく最近になって「UNIVAS(ユニバス)- 大学スポーツ協会 -」を設立し、テコ入れをはじめ、2020年に1,000億円を目指している。
このことから、僕はアマチュアスポーツの活性化(経済化)が日本のスポーツ市場全体の活性化に繋がると思っている。アマチュア時代に「スポーツは経済価値があるもの」ということを肌で感じるべきだと思う。現在の日本ではどうしても「スポーツ=体育=教育」という認識が強く「スポーツ=ボランティア・無償」ということが色濃く残っているように思う。
「スポーツ」と「体育」は違う
スポーツの語源は、ラテン語の「deportare/デポルターレ」から来ており、その意味は、戯れ・休養・楽しむ・遊ぶといった意味を持っている。あくまで自発的であることが原則だ。
体育とは英語で「physical education」。文字通り「身体教育」を意味する。教育だから義務が生じて指導者の命令に従うことが原則となる。明治維新以降、日本に輸入された「スポーツ」という外国語は当時の軍国情勢もあり、スポーツに含まれた水泳・陸上競技・体操などが訓練の手段として使われたことで「体育」という言葉へと変わっていったと言われている。スポーツの意味が国民に浸透する前に、スポーツの手段である競技が「体育」で使われることで「スポーツ=体育」となってしまったそうだ。
スポーツは楽しむものであり、競技は楽しむための手段
体操リオオリンピック代表の宮川選手が速見コーチから暴力的指導を受けたとして報道された映像は衝撃的だった。「指導をする者・指導をされる者」という主従関係があるからこそ生まれる行為だと思う。これは「スポーツ」ではないのだ。スポーツとは主体的に”楽しむ”ものであり、体操といった”競技”は楽しむための手段なのだ。「体育の日⇒スポーツの日」や「体育協会⇒スポーツ協会」へと名称変更されたが、言葉の意味の違いや、文化を全世代が理解したときに初めて日本のスポーツ業界は飛躍するように思う。
スポーツが命令に従い身体の鍛錬をするものではなく、映画館に行くように気軽に体験できるエンターテイメントだと誰もがイメージできる時代はいつくるのだろうか。いや、時代が来るのを待つのではなく、人生のすべてを懸けてそんな時代を創ろうとしているのが僕であり、co-stepという会社である。
”スポーツでお金を稼ぐ”を当たり前の社会へ
僕が代表を務めるco-stepでは現在、スポーツレッスンのCtoCサービス「spoit」を開発している。すべてのスポーツ経験者がスマホで自由にレッスンを販売でき、すべての人がスマホで簡単にレッスンを購入できる。メルカリのスポーツレッスン版のようなものだ。
スポーツをする。という敷居を低くし、採算が合わずスポーツジムでは提供できない、痒い所に手が届くレッスンやeスポーツ、テクノスポーツ、マインドスポーツ、エクストリームスポーツなど、「え?これもスポーツなの?」と思うような、新しいスポーツもお届けしたいと思っている。
すべてのスポーツ経験者の努力がお金に換わることができれば「スポーツで食べていく」を諦めサラリーマンをしていた人も、「スポーツと共に歩む新しい人生」が始まるのではないだろうか。すべての人が参加できるアマチュアスポーツのプラットフォームがあれば、映画館に行くように気軽にエンターテイメント体験としてスポーツを楽しんでもらえるのではないだろうか。
spoitを通して「スポーツは食べていけない」からまずは一歩目を踏み出し、「スポーツでお金を稼ぐ。を当たり前の社会」にしていきたいと思っている。
noteだけではこの”想い”は書ききれないので、気になった方は先日インタビューされた記事があるのでぜひ読んでみていただきたい。
また今回のnoteを書くキッカケになった、アスリート時代の経験を元にスポーツのスキルがいかに社会で生かすのが難しいか?を綴ったnoteもあるので読んでみていただけると嬉しいです。
■co-stepとは?
スポーツ・将棋の聖地、千駄ヶ谷に本社を構えるスタートアップ。創業以来、融資ゼロ・出資ゼロ・黒字経営を続けることで自らの会社をキャリア教育の実験室と置く。「感動への一歩目を共につくりつづける会社」として、マーケティング/クリエイティブ事業、スポーツ事業を通して「進路を共に一歩踏み出すキッカケを」の実現を目指す。
■スポーツ事業
初心者女子向けスポーツメディア「spoit」&スポーツレッスンのCtoCサービス「spoit-match」を開発中。
■マーケティング/クリエイティブ事業
全職種の60%をひとりのディレクターが担当することであるべきメディア設計を描いたマーケティング戦略と、媒体に固執しないユーザーに最も最適なクリエイティブを行うディレクター集団。