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来年度のアクセラについて考えていて、"伴走"の限界に気づいた話

事業責任者のくせに52Hz Accelerator(アクセラ)についてnoteを出すのが久しぶりになってしまった、一般社団法人52Hz理事の谷津凜勇です。
1月の合宿からずっと、来年度の52Hz Accelerator 1期をどのように改良していくべきか、これでもかというほど頭を悩まし、深夜まで仲間と議論しています。

そんな中、「アクセラって来年度も開催されますか?」「来年度こそ参加したいのですが、いつ募集開始しますか?」といった相談が最近増えてきました。率直に、めちゃめちゃ嬉しいです笑 乞うご期待! このnoteでは、そんな来年度のアクセラの方針について、僕たちの脳内を少しだけシェアできればと思っています。

何はともあれ、正式なリリースは近日中に出せるはず(というか、出したいし、出せる状況になっていないと困る……)ですが、とにかく、52Hz Acceleratorは2025年度も開講します。現時点では、3月に大学生の参加者を募集して、4月〜5月に中高生の参加者を募集する予定です。形態や内容は、もしかすると0期とは少し違った形になるかもしれません。でも、きっと、これからどんどん"加速"していきたいと思っている中高生にピッタリな学びの場になるはずです。これ以上のことはまだ確定していないか、対外的に発表できる状態ではありません。これからのラストスパートで頑張って詰めます……!


「伴走プログラム」としての0期

実は、プログラム0期の事業・企画を今から振り返ると、ターゲットも実施内容も提供価値も、すべてが曖昧だったなぁと反省しかありません。もちろんやってみないとわからないことが沢山あるのは当然ですが、とはいえ、BizDevとしては、もう少しシャープにしてから事業を進めなければ、仮説検証をしにくい、ということを痛感させられた一年でした。

けれども、ゼミごとに多様な中高生が集まり、海外大生自身が目の前の中高生に合わせたコンテンツを提供する、という自由度の高いスタイルを試してみた結果、同時並行的に様々な試行錯誤を行うことができ、発見も多かった、という点では評価できる部分でもあります。実際、全国規模のコンテストでの入賞、起業家育成プログラムへの採択、アメリカをはじめ海外大学への合格・奨学金の獲得など、想像以上に多様な成果を出しています。そしてそれ以上に、0期生と話していると、彼らの内面的な成長を実感して刺激をもらえる毎日でした。

実は現在、0期生にプログラムのフィードバックをもらうためヒアリングを実施しているのですが、「このアクセラの1年を一言で表すとどんな1年だった?」と聞いた時に、ある受講生が以下のように答えてくれました

「刺激!」
自分よりすごいなあと思う人もいれば、違う分野で輝いている人・違う思考回路を持っている人もいて、様々な人と出逢えた。自分は我が強かったけど、それが良い意味で壊されたし、色々な人から刺激を貰えて、自分の道を見つけられた!

こうしたフィードバックをもらう中で、僕は「伴走プログラム」というアクセラの位置付けが果たして正しかったのだろうか……と自問自答していました。

「伴走」することの難しさ

中高生の教育に大学生が関わる際、従来の教育モデルでは、多くが「伴走」という形をとります。僕もご多分に漏れず、アクセラの説明として「伴走」というワードを選択していました。けれども、この1年間、自分自身も0期生と向き合うとともに、海外大生メンターのサポートをしてきた中で、痛感したのが、「伴走は本当に難しい」ということ。

改めて「伴走者」に求められる役割を考えてみると、自身の経験や知見を活かして、中高生に対して答えやネクストアクションに至るヒント・アドバイスを提供する、といったものになるでしょう。例えば、10代への探究支援や居場所づくりなどを行うNPO法人カタリバでは、親や先生といったタテの関係でも友達や同級生といったヨコの関係でもない、“一歩先をゆく先輩"との「ナナメの関係」を定義し、以下のような役割を課しています。

青年期の若者たちが「自分が10代の時に欲しかった機会」を本気で考え、実行する

https://www.katariba.or.jp/outline/strength/ より
https://www.katariba.or.jp/outline/strength/ より

アクセラでも、こうした関係性を元にプログラムを展開していたのが0期でした。ところが、その中で気づいたのは、そもそも、「伴走」という関係性には限界があるのではないか、ということです。というのも、「伴走」のあり方は、「経験を積んできた先輩だからこそ、中高生よりも課題や答えが見えているはずだ」という暗黙の前提が含まれているのです。大学生自身が、中高時代に自己探究や課外活動に取り組んできたからこそ、本人の知見の中から目の前の子に合ったアドバイスをする、というモデルは一見上手くいきそうですが、意外とそうではないかもしれない、というのが0期での発見でした。

というのも、まず、このモデルは中高生たちの成長・学びを意図せず制約してしまう可能性がある、という欠点に気づいたのです。伴走者としての声掛けは、大学生の知見の範囲内でのアドバイスに留まってしまいます。大学生メンターはアドバイスやヒントを与える際、「この子の課題は〇〇だから、それを乗り越えれば✖️✖️な状態に到達できるはず。そのためにはこんな声かけをしよう!」といった思考をしています。

これでは、中高生に対してどんなにいいアドバイスをしたとしても、その子は最大✖️✖️な状態までしか到達できないのです。けれども、もしかするとその子には、課題を乗り越えた結果✖️✖️よりもさらに飛躍できるポテンシャルがあったかもしれない。例えば、もっと経験豊富な社会人や専門家にアドバイスをもらえれば、✖️✖️を超えて◾️◾️にまで到達できるかもしれないのです。しかし、そのことに大学生は気づくことができません。それは、大学生に見えている「答え」は◾️◾️ではなく✖️✖️に過ぎないため。すなわち、伴走では、先輩に見えている範囲で中高生を引き上げることしかできず、中高生の成長や学びにガラスの天井を設けてしまうことになるのです。

むしろ、僕自身が中高生の相談に乗っていて痛感したのは、結局大学生だからといって答えを知っているわけではない、という当たり前の事実です。中高生から悩みを相談されても、それに誰もがいつでも的確な答えを返せるとは限らない。大学生が積んできた人生経験からできるアドバイスでは、中高生にとって物足りないことも多い。

だとすれば、そもそも大学生の役割の再定義が必要ではないでしょうか? 彼らの役割は、教えたりアドバイスしたりすることではありません。ただ一緒に探究を面白がりながら、(少し先を走る)背中で刺激を与えることです。経験や知見をもつ先輩としての専門性や権威を価値にするのではなく、共に探究を楽しむフラットな関係を築き、大学生自身も未知の課題に向き合いながら高校生と共に模索し続ける存在であるべきなのです。わからないことにそれっぽいアドバイスを返すのではなく、「私もわからないから、一緒に答えを探そう」というスタンスを取れる。「中高生のために私がこれまでの経験をもとに教えてあげよう」と過去を向いて考えるのではなく、「私自身がワクワクに熱狂しながら探究していれば、中高生はそんな私の背中から何かを感じ取ってくれるはず」と未来を向きながら考えられる。

……そんなあり方の方が、大学生の関わり方として健全なのではないか、と思っています。なんてったって、僕たち大学生はこの世界でまだ20年ほどしか生きていません。そんな若輩者に答えがわかることなんて、ほとんどゼロに等しいのです。それならば、無理やりアドバイスを捻り出すのではなく、素直にわからないと伝えて、一緒に答えを探求していくべきではないでしょうか?

僕自身が、例えば事業の立ち上げ方やプロジェクトチームの動かし方についてアドバイスを求められた時の口癖は、「いや〜むずいよね、僕もそれはわからんな〜」です苦笑。色々と経験をしてきたからこそ、答えっぽいアドバイスをすることはできるのですが、それよりも、「僕はこういう状況でこういうことを試してみたよ。その結果、良い面ではこうなったし、悪い面ではこうなった。だから、次はこうやってみようと思ってるんだ! あなたの場合は、どうすれば良いんだろうね?」と自分自身の試行錯誤を共有し、常に自分自身が挑戦中であることを伝えるよう心がけています。

こうしたアプローチの良さは、大学生が無意識的に成長のゴールを設定してしまわないこと。逆に言えば、ゴールがわからないからこそ、事前の想像を超える創発的な気づき・発見が生まれ、高校生主体の能動的な学びが促進されるのです。そのためには、長い期間をかけて一緒に探究のサイクルをたくさん回していくことが必要で、むしろ長い時間をかけるほど、事前には想像できなかったような大きな学びを自ら獲得し、プログラム開始前は誰も信じられなかったような成果を上げる可能性が高まります。実際、今僕が担当しているゼミ生の一部は、政府主催の起業家向け国際派遣プログラムに採択されるなど、もはや起業家という意味では僕よりも先に行ってるのではないか、というほど全速力で前進しています。

※ちなみに、こうした議論の理論と実践を詳しく知りたい人には、『ジェネレーター』がおすすめです!

「教える - 教わる」固定的な関係の払拭

ところで、もう少し「伴走」というあり方を深掘ってみると、別の課題も見えてきます。それは、「大学生側が教えて、中高生側が受け取る」という一方通行の関係性が固定化されてしまうこと。0期の海外大生メンターからよく聞いていたのが、「ファシリをしていると、どうしても自分が先生のような立場になってしまい、ゼミが1対多のやりとりになってしまう」という悩みです。もちろん、これはファシリとしてのスキル不足に起因する面もあるかもしれませんが、それよりも、「伴走メンター」としての関わりがこの状況を必然的にもたらしているような気がしてなりません。

本来、少人数が集まったゼミは、中高生と海外大生が互いに切磋琢磨できる場であるはずですし、その中では、「教える - 教わる」の関係性は、「海外大生 - 中高生」だけでなく、「中高生 - 中高生」「中高生 - 海外大生」でも良いはずなのです。実際、0期でメンターを務め、1期に向けてディレクターとして一緒に動いているほしいもは、noteで以下のように書いてくれています。

中高生や海外大学生と語り合いながら、それぞれの理想や信念を共有する日々は新しい気づきの連続。中高生の考えや志に感化されることも多く、寄り添いながらも一緒に成長しているそんな実感があります。

52Hzにいると中高生からエネルギーをもらえる!といってくれる海外大生は多いですが、特にアクセラでは、中高生自身が夢中で探究に打ち込んでいるからこそ、大学生が持てなかったような視座や洞察を持っている子も多いですし、新しい発見や気づきを得ることができます。であれば、なおさら、「大学生が教えて、中高生が教わる」という一方通行の関係性で終わってしまうのは、非常にもったいないことだと感じます。

実は、以下でツイートしたマイプロジェクトアワードでも、個人的には、大学生が必ずしも教えなくても良い学び合いが生まれるのではないか、という仮説を持って参加していました。もちろん、アドバイスを求められたら、色々と僕の方から話すのですが、そのブロックの雰囲気やレベル感なども見極めつつ、できるだけ高校生同士で質問しあったり、アドバイスしあったりしてプロジェクトを深める機会を作るようにしたのです。手応えとしてもかなり感触は良く、高校生に「今日得られた一番の学びは?」と聞くと、僕たち大人のサポーターのアドバイスや問いかけよりも、高校生同士のやりとりからの気づきを真っ先に答えてくれる子が多かったのが印象的でした。したがって、(サポーターとしては少し複雑ですが笑)仮説は立証されたと言えそうです。

1期アクセラでは、「伴走メンター」ではなく「共走メイト」へ!

そんなことを議論しながら仲間と出した結論が、来期では「伴走メンター」という言葉を使わない、という決意です。

0期では「自身のワクワクを深掘ることで理想の進路・キャリアを実現した海外大生が、ロールモデルとしてそれぞれの知見を活かし伴走メンターを務める」として企画していましたが、海外大生自身もグローバルで主体的な進路選択のために模索中だという姿勢に自覚的になるため、大学生を「高校生とともに挑戦し続ける共走メイト」として再定義します。「教える - 教わる」ような上下関係ではなく共に探究を楽しむフラットな関係を築き、大学生自身も未知の課題に向き合いながら高校生と共に模索し続ける環境を創出します。それにより、事前の予測を超えた創発的な学びが生まれ、高校生の主体的な成長を促すことを目指します。

これは、ただプログラムの改善のために行うものではありません。むしろ、先進的な教育事業のモデルを世の中に提案する試みでもあります。

日本全国で教員不足が深刻な課題となる中、少数の熟達教師に依存した従来の学校組織・教育事業モデルは限界を迎えています。経験豊富で優秀な教師にしか、良質な教育価値を出すことができないのであれば、これから日本の学校教育を始め教育的な活動は人手不足で先細りしていくしかありません。しかし、アクセラを通じて、この状況に新しい教育価値のパラダイムシフトを起こしたい。知見豊富な先輩による「伴走」ではなく、自身も問いと向き合い続ける身近な大学生と「共走」することで、意欲的な仲間同士での切磋琢磨を通じて、優れた教師の存在に頼ることなく学びの価値を実感できる、再現性の高い新時代の教育価値提供モデルを確立したいと考えています。


さて、そんな52Hz Acceleratorは、三菱みらい育成財団の助成を受けて来年度以降も開校します。
次年度1期生の募集は2025年4月〜5月頃を予定しています。
プログラムの概要はこちら:

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