2002年からの武術エッセイ
駅前でその人を見た。
10数年前、私が表演武術の太極拳教室を見学に行ったとき、その男の人は入門した。
10数年ぶりに見るその人の歩きは、見事に重心の安定を表現していた。
ああ、素晴らしいな、あれからずっとあの教室に通っておられるのだなあと思い、感心して見ていた。
でも、それは、とても残念な気持ちに変わった。
あれから10数年もたつのに、この人はあからさまに人前で自分の重心の安定性をアピールしながら歩いている。
だれが見ても不自然な歩き方にしか見えない。
まだ、太極拳をならったばかりの4~5年生くらいならば話はわかるが、10年以上太極拳を学んだ人の歩き方ではない。
きわめて作為的な歩き方だ。
おまけに今日は、雨が降る予報だったので、その人は傘を持っていた。
しかも逆手にとりながら・・・・。
つまり太極剣の仙人指路などのときに出てくるような剣の持ち方を、そのまま傘の持ち方に使って歩いているのだ。
きわめて不自然、武術的な意味からいっても不合理な持ち方である。
しかし、それは、たとえば、駅のホームでこれ見よがしに傘を使ってゴルフのスイングをしている人の心理に似ている。
表演武術は、スポーツなんだから、私がそんなことに目くじらたてることもないのだ。
そうとはわかっているが、どうも、私の中に幼稚な部分が残っていて、その人を批判的に見ていると思うと、自分で自分が情けなくなってしまう。
生きることを技化するためには、意識を技化しなければならない。
まだ、まだ、武術の達人にはほど遠いようだ。
2004年8月記す。