焼きたてのパンの姿は消える
焼きたてのパンを食べた。
パン屋さんで並んでいる「焼きたて」の札もめちゃくちゃ光り輝いているし大好きだけど、一番好きなのは家でパンが焼きあがった瞬間だ。焼き上がりを知らせるベルが鳴って、扉を開けると熱々で触れないふかふかのパンが揃って胸を張って並んでいるのを見るときの幸せさと言ったらない。すぐには食べられないけど、できるだけすぐに食べたくて、粗熱が取れてぎりぎり食べられそうな瞬間を見計らう。
手に取るとふわっふわでつかみどころのない、まるで空に浮かんだ綿雲を集めてきておふとんに仕立てたみたいな柔らかさで、すごい熱さが指の形に埋まって、思わずかじりつくとやっぱりふわっふわで、湿気を含んだ香りがふわりと立ち昇り、気がついたら一口分がとけて消えている。
今回母が焼いてくれたのはジャムパン(これが、焼いているうちに中身が飛び出して結構大変な見た目になったりするのだが、飛び出したジャムの焼かれた部分は水分が飛んですこしぷるんとした食感になってくっついていて美味しい。これは本当に焼きたてを食べるに限る)なのだが、失敗した部分のはしっこがよく焼かれて少しカリッとしていてふわふわ部分との対比がとても美味しいのだ。甘く煮詰まった部分と、あつあつとろりと流れ出る中のジャムと、ふわっふわの生地(最近はまっているらしいふわふわパンレシピは、薄力粉を入れるのだそうだ)、少しカリッとした頭の部分。お店で出すには失敗の見た目かもしれないけれど、本当に最高の美味しさ。ちなみに今日のジャムはさくらんぼで、果肉が少し残っているタイプなのだけどそれもまた美味しい。
子どもの頃読んでいた本に、焼きたてでぬくいフランスパンを袋に入れて小脇に抱えながら(フランスパンを入れる紙の袋の表面がしっとりと蒸気を含んであたたまるあたりの描写がとても魅力的で、それ以来私は焼きたてのパンが濡らすあの蒸気がとても好きだ)、家で開けよう家でと思いながら帰る道で我慢ならずこっそりはしっこをちぎって食べてしまう話があって、ずっと憧れていた。それから、たぶん母の料理本のコラムページ、焼きたての食パンに一斤のまま丸ごとかぶりついて、切るべき、切るべきと思いながらそのまま食べてでも途中でお腹いっぱいになって少し後悔する話があってそれもすごく魅力的だった。焼きたてのパンの魔力ってそういう、抗いがたいものなのだ。古今東西。きっと。
美味しいね、美味しいねとバカみたいに言い合いながらパンを食べて気がついたら、焼いたうちの半分以上をあっという間に平らげてしまった。
しかしパンはこの瞬間が一番美味しいのだからやめられないし、やめないのが義務である、とそんなことを思いながら、私はしっかりと夜ごはんをよそったのであった。