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宮澤賢治『心象スケツチ 春と修羅』ブロンズ本

2023年9月21日、宮澤賢治は没後90周年を迎えました。弊店ではこの度の入荷として『心象スケツチ 春と修羅』をご紹介いたします。本品は宮澤賢治自身の手によって本体にブロンズ粉が塗布された、通称「ブロンズ本」と呼ばれるものになります。

宮澤賢治が最初の著作である『春と修羅』を上梓した翌年、大正14年2月9日付でかれが森佐一(のちの直木賞作家・森荘已池)に宛てた書簡のなかにこんなくだりがあります。

前に私の自費で出した「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の支度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。……出版社はその体裁からバック[筆者注・背表紙のこと]に詩集と書きました。私はびくびくものでした。亦恥かしかったためにブロンヅの粉で、その二字をごまかして消したのが沢山あります。

上記の書簡がはじめて公刊されたのは、十字屋書店による二度目の『宮澤賢治全集』の別巻(昭和19年刊)。おそらくここに端を発して、「ブロンズ本」の存在は研究者や熱心な読者、コレクターたちのあいだで語られるようになります。しかし実際に文字が塗り潰された『春と修羅』の書影が何らかの展覧会図録や古書店の販売目録等に掲載されたことは一度もなく、何某という蔵書家がそれを手に入れたらしい、何処そこの古本屋のガラスケースに飾られていたらしい、といった噂ばかりが行き来する、所在のつねに不確かな幻の書物であり続けました。

そうした状況に、2014年千葉県の秀明大学で開催されたある展覧会が転機をもたらします。「宮沢賢治展:新発見自筆資料と『春と修羅』ブロンズ本」と題した展示において、同学学長・川島幸希氏(Twitterではアカウント「初版道」として知られる)所蔵の『春と修羅』ブロンズ本が2冊、陳列されました。いずれの個体も賢治の書簡にあるとおり背表紙の「詩集」の二字が、そしてそれにとどまらず「春と修羅」「宮澤賢治作」の九字までもがブロンズの粉によって塗り潰されています。ここに『春と修羅』ブロンズ本の実際の姿が、初めて世人の目に触れるかたちで公表されることになりました。

画期となった展示から9年が経った2023年某月末、古書市場で入札を進めていると、その日の特選品としてさしたる前触れもなく『春と修羅』が一冊出品されているのが目に留まりました。慎重に手にとってたしかめてみると、函、本体ともに管見したもののなかではおそらく最も保存がよく、天の藍染めはつい昨日着色したような鮮やかさを保ち、ほとんどの場合切れてしまっている華奢な綴じ糸もすべて残っています。そして何よりも目を惹いたのが本体表紙の不思議なさまで、まるで金粉を含んだ塗料でもこぼしたものか、上半分ほどがまだらに光沢を放っており、また表紙中ほどの左側にもやはり同じ塗料によってぽつりぽつりと点々が打たれています。気を惹かれるまま会場の光源の下でためつすがめつしていると、ふとどこかで読んだ「ブロンヅの粉」のエピソードが頭をよぎりました。背表紙に目を向けるとはたして、同様の塗料で背文字が塗り潰されています──。それまで参加したことがなかった「振り入札」と呼ばれるリアルタイムの競りに、はじめて挑んでみようと思った瞬間でした。

『心象スケツチ 春と修羅』ブロンズ本 背表紙

以上のような経緯と辛くも落札成るという僥倖に恵まれ、本品を紹介できる運びとなりました。さきほど触れたように、今回新出となる該書には「宮沢賢治展」で確認された2種と異なる特徴があります。それは前記ブロンズ本2冊と同様背表紙の十一字が塗り潰されているのに加え、表紙(いわゆる表1、表表紙)にもブロンズ粉の塗布が見られるということ。

『心象スケツチ 春と修羅』ブロンズ本 表表紙

あらためてその表紙に目を凝らしてみると、一見、賢治のいう「ブロンヅの粉」が無造作にこぼされた風にも見える上半分の箇所の塗料は、布地に施されたアザミの意匠の隙間をまるで縫うようにして塗布されているのがわかります。意匠そのものには手を加えず、けして多くはない余白を使い、なにごとかを表そうとしているような筆致です。記念すべき最初の著作に印刷された不本意な文字をぎらつく塗料によって塗り込めているうちに、ふと興が乗ってきた賢治が「いっそ表紙のほうまで飾り直してやろう」と考えたのだとしたら……。やはりアザミの葉と葉のあいだのやや広い空白を生かして置かれた点々をじっと眺めていると、賢治が終生にわたって大切にしてきたあるモチーフが思い浮かびました。

それは「さそり座」。わたしたちの国では夏の大三角とともに親しまれている、夏季を代表する星座です。大きなS字を描き、その心臓にあたる位置にはひときわ明るく一等星アンタレスが輝いています。

さそり座
『心象スケツチ 春と修羅』ブロンズ本 表表紙

「銀河鉄道の夜」の後半、客室に乗り合わせた女の子が語るさそり座の挿話を覚えている方もいるかもしれません。また最初期の童話「双子の星」、「シグナルとシグナレス」、『春と修羅』収録の「鉱染とネクタイ」といった作品においても、この星座は「さそりの赤眼」という賢治独特の表現をともないながら重要な役割を演じています。一説によれば、賢治作品のなかでさそり座は60回以上もの頻度で登場しているとのこと。ほかの星座は10回前後であるそうなので、その思い入れのほどが窺えます。

『春と修羅』を刊行した当時、賢治の手許には1,000部刷ったという在庫のうちおよそ半分の500部ほどが残っていました(残り半分は版元の東京・關根書店に送られますが、心ない社主により大方がゾッキ本として古本屋等に流されてしまいました)。ちょうどその頃第一次稿を書き進めていた「銀河鉄道の夜」のことが念頭にあったはずでもあり、手すさびに始めた自著への修飾に、南の空を渡る天の川や、最も気に入りだったさそり座の姿が現れたとしても不思議ではありません。

しかし『春と修羅』表紙に現れたさそり座の姿と星座表などに載っているものを比べると、敷き詰められたアザミのあいだで多少のデフォルメが必要だったとはいえ、最も明るいアンタレスの位置がずれているのが気にかかります。この恒星の正しい位置は心臓の部分であるはずなのに、賢治のさそりはどうやら頭の部分が光っているかのようです。じつはこれは賢治特有の癖のようなもので、かれはしばしば、実在する事物をその通りに再現するのではなく、たとえ事実に反する結果となろうともあくまで自身の心に映った姿に準じて表現するのです(例えばある詩では通常5つの星からなるカシオペヤ座を「三目星」と呼ぶなど、枚挙に暇がありません)。今回の場合、かれにとってさそり座とは「赤い眼」をしており、そうであるからにはアンタレスが「眼」にあたる位置で光っていなければならない。こういうわけで、かれの描いたさそり座は心臓ではなく頭部のほうが大きく光っているのではないか、と推察することが可能なのです。

近代詩人のなかでは自筆の署名や献辞が極めて少ないことでも知られる宮澤賢治ですが、その稀な詩人の手遣いによって、いわばかれの胸中を占めていた「心象のさそり座」とでもいうべきものが、ここに写しとられていると考えることはできないでしょうか。

一巻の題名ともなった作品「春と修羅」には、副題のように「(mental sketch modified)」という文字が付されています。いちど書き上げたものに無数の改稿をほどこし、その度重なる変貌をいとわなかった賢治がつねに自身の創作に期していたのは、この mental sketch=心象スケッチに続く「modified」の語に代表されるひとつの性質であったように思えてなりません。修正、変形、あるいは修飾といったものを受け入れる状態のままに、留めおくこと。それはかれが出会い、愛するようになった諸々の事物に対してさえも例外ではなく、自身の最も大切な主題を託したひとつの星座もまた、──たとえば初めて世に送り出すことのできた本のうえに──「modify」され得るものとして、いつしか賢治の胸底に存在していたのかもしれません。

「春と修羅(mental sketch modified)」

宮澤賢治『心象スケツチ 春と修羅』

關根書店 大正13年初版 函(角打ち有) 保存良 
著者の手により背表紙および表表紙にブロンズ粉塗布

販売済となりました。ありがとうございました。


追記:2024年4月20日、『心象スケツチ 春と修羅』は刊行後100周年を迎えました。

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