魚釣りの名人は釣りが上手い人ではない
作家の邱永漢さんの本が好きで一時期よく読んでいました。株の名人で金儲けの神様と呼ばれた方ですね。
邱さんのお話で面白かったのが、「魚釣りの名人は魚を釣るのがうまい人ではない。魚がいる場所を見つけるのがうまい人だ」というものです。
どれだけ釣りの技術がある名人でも、池の中に魚が一匹もいなければ釣ることはできません。ですが釣り初心者でも、池に魚があふれんほどいたらバンバン釣ることができます。
魚釣りというのはビジネスのたとえですね。
ビジネスが下がり目になるのは漁場から魚がいなくなることです。いくら優秀なビジネスマンや営業マンでも、お客さんがいなければどうしようもないです。だから漁場を変えること、人と金が集まる場所を見極めてそこで釣り糸をたらすことが大事だというわけです。
なるほど、とその記事を読んで思いましたね。
自動販売機で考えるとわかりやすいんですよね。誰もいない山中に自販機を置いていても、ジュースは一本も売れないじゃないですか。とんでもなく賢い猿が、拾った小銭で買ってくれるかもしれませんが。
でも都会のど真ん中、渋谷のスクランブル交差点に自販機を置けばあきらかに山中よりも買ってもらえる。
自販機自体は同じなのに、置く場所で儲けが雲泥の差になるわけです。
僕は文筆業ですが、文筆業でもこの釣りの法則はあてはまります。
例えばミクシーってあるじゃないですか。TwitterやFacebookが登場する前のSNSですね。当時はSNSといえばミクシーでした。
僕は以前ミクシーでエッセイを書いていましたが、今ミクシーやっている人なかなかいないじゃないですか。(おられたらすみません……)
こういうエッセイを書いてもミクシーだったら読まれる方は少ないんじゃないでしょうか。いわば漁場から魚がいない状態です。
一方noteのユーザー数は昨年の発表では6300万人を超えているそうです。
凄いですよね。つまり今のnoteは魚がばんばん跳びはねている漁場になっているというわけです。同じ文章コンテンツを上げるにしても、noteの方が読んでもらえる確率が飛躍的に上がります。
小説にしても紙の書籍という漁場からは魚が消えつつありますが、noteを含めた他のプラットファームでは魚が増えています。ネット発の作家が次々と登場するのはそこに魚という名の読者がいるからです。
現在はこういう新しいツールやプラットフォームが次々と登場する時代なんですよね。つまり魚がいる漁場がせわしなく移り変わるんです。
昔のように一生同じ漁場で釣りができる時代はもうこないんでしょうね。終身雇用が崩壊したのと同じです。
この道一筋の頑固一徹職人というのは、僕らの書くストーリーの世界では燦然と光り輝くんですが、それは現実と異なるからなんでしょう。
古びた文化や価値観はエンタメの中で生き残るってやつです。
だから次に魚があふれている漁場はどこなのかに目を配り、いち早くその漁場に移動するフットワークが重要になるんじゃないでしょうか。