note連続小説『むかしむかしの宇宙人』第39話
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もう九月にもかかわらず、窓から射し込む日光は熱かった。足裏に感じる床板の温度は、夏のそれと変わらない。
玄関では、さっさと朝食をすませたお父さんが靴を履いていた。バシャリと健吉がそれを見送っている。
帽子を丁寧にかぶると、お父さんは膝にまとわりついていた健吉の頭をやわらかくなでた。
そのしぐさに自分の子供のころの姿がよみがえる。小さなわたしの頭をなでるお父さんの姿が……
ふせていた目を上げると、お父さんはすでに玄関から出て行っていた。
朝食を食べ終えてから支度をはじめた。今日は銀行が改装工事のせいで休みだけど、関根課長に用事を命じられている。
お得意様に手土産を届けなければならなかった。
「おや、お出かけですか、幸子?」
「ええ、あなたは今日はどうするの?」
「今日は、夕方に荒本のところに行きます。
それまではマルおばさんの子供たちと健吉と竹馬で遊びますよ。私はまだ乗れませんからね。特訓ですよ。特訓」
と、健吉に顔を向けてわらう。
健吉はバシャリの手をとると、たどたどしい手つきで竹馬の指導をはじめた。健吉もまだ上手く乗れないのに、とわたしはおかしくなった。
喫茶店でお父さんの秘密を知ってから、わたしはさらに仕事に熱を入れはじめた。頼れるのは自分だけだ、ということを改めて思い知らされたからだ。
百貨店で手土産を選び、目黒駅の近くにあるお得意様の家に届け終えた。精一杯愛想わらいを振りまいたせいで、頬の筋肉が強ばっている。
気分を変えるため電車に乗るのを止めて徒歩で帰ることにした。駅を過ぎると、前方の建物から女性たちがぞろぞろと出てくるのが見えた。
途端に、空気が華やぐ。ノースリーブのワンピースにマリンボーダーのシャツ。どれも最先端のファッションだ。
でも、最も目を惹かれたのが、そのかばんだ。みんな、青くて四角いかばんを持っている。予想通り、建物の壁には『杉本学園女子短期大学』とあった。
杉本学園女子短期大学は、日本初の洋裁学校だ。洋装が広まるにつれ、杉本学園の名も有名になった。もちろんわたしも知っている。
ぼうっと建物を眺めていると、
「どうしたの? 何か珍しいものでもあった?」
突然、声をかけられた。振り向くと、ショートカットの女性が立っていた。白いシャツにマンボズボン。
ズボンの裾をロールアップしている。無造作に選んだような服が一部の隙もなく、彼女に合っていた。見事な着こなしだった。
「すみません。つい見とれてしまって……」
「そう? そんなにおかしな建物かしら?」
彼女は、わたしの視線を追った。年齢は三十歳ぐらいかと思うけれど、くるくる変わる表情は、わたしと同じくらい若く見える。
わたしの周りにはいない雰囲気の人だった。
「私の顔もおかしいかしら?」
「いえっ、すみません」
わたしはすぐさま否定した。
「こちらの生徒さんが素敵な洋服を着られていたものですから、つい目をうばわれてしまって……」
「へえ、そうなの」
彼女は興味深そうにじろじろとわたしを見た。ふと、彼女の視線がわたしの買いものかごに留まった。
「……そのはぎれいいわね」
なぜか、しんみりとした口調だった。
「ありがとうございます」
礼を述べると、彼女の瞳がきらりと光った。見覚えのあるその輝き……
そうだわ。バシャリや、荒本さんと同じなんだわ。
三人とも外見はまったく違うのに、子供が遊びに熱中しているときのような、その無垢な瞳が通じるものがある。
彼女は突然「そうだ」と声を発し、こう言った。
「ねえ、あなたせっかくだから中を見学しない? 案内するわよ」
「えっ」
わたしが驚きの声をあげる前に、「こっちに来て」と、彼女はすでに歩き出していた。
勝手に物事を進めるところもバシャリそっくりだ。そしてこの類いの人間に逆らうことの無意味さはすでに学習済みだ。わたしはしかたなく後に続いた。
彼女は、校舎の中を進んだ。廊下の壁は色とりどりのポスターでいっぱいだ。あざやかな衣装で身を包んだ女性たちが輝いて見える。地味な銀行のポスターとは大違いだ。
ある部屋の前で彼女は立ち止まり、扉を開けた。
「ちょうど仕事のメドがついたところで退屈していたのよ」
目前に広がるその光景に、わたしは息を吞んだ。
壁際には、ずらりとマネキンが整列していた。どれも華麗な洋服を身につけている。うしろの棚には生地が幾重にも重ねられ、自分の出番を待ちかねているみたいだ。
お世辞にも片づいているとはいえない部屋の真ん中には、大きな作業机が腰をすえている。その上に置かれたものに自然と目が吸い寄せられた。
ミシンだった。
やわらかな日射しがあたり、まるでお日さまの粉をまぶしたみたいにきらめいて見える。無意識のまま近寄ると、わたしはミシンをそっとなでた。さっきまで作業していたのか、表面は熱をおびている。ミシンが生きている証だった。
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