note連続小説『むかしむかしの宇宙人』第47話
バシャリがほっとした様子で言った。
「気がつきましたか? ずいぶんと深く入りましたね。ちょっと驚きました。やはり親子だと浸透率が違いますね」
まだ、頭がぼんやりとする。バシャリがあわてたように言った。
「幸子、深呼吸をしなさい。楽になりますから」
言われたまま、肺いっぱいに空気を入れる。何度か呼吸をくり返し、ようやく意識がしゃんとしてきた。泳ぎ疲れたように体がだるかった。
「……わたし、知らなかった。お父さんがあれほど傷ついていたなんて……」
後悔が、全身を駆けめぐる。お父さんはわたしたちとの再会を心待ちにしていた。
なのに、わたしがそれを粉々に打ちくだいた。そしてそのことに気づきすらしなかった。
バシャリが諭すように言った。
「わかりましたか。たしかに周一は、幸子を避けています。家にも居着かず、陰で何をしているかもわかりません。
幸子からすれば、ろくでもない父親でしょう。二人の距離は、親子とは呼べないほど遠ざかっ
ています。でも、そのきっかけはさっきの記憶のことだったのかもしれません」
こくんと頷いた。
「私は、幸子と周一の間に過去、何があったかは知りません。
だからとても無責任な発言をしているかもしれません。
ですが、私には周一がそれほど悪い人間には思えないのです。幸子、わずかでも周一の本音を知る努力をしませんか?
許す必要はありません。周一の気持ちに触れるだけでもかまいません。どうですか? できますか?」
もう一度、こくんと頷いた。あの体験をした今ならできる気がした。バシャリが補足した。
「そういえば、健吉と周一はフタが開いていると言いましたね」
「ええ」
「フタが開いている者同士はお互いの感情が伝わりやすいのです。だから健吉が目を覚ましたとき、瞬時に周一の不安を感じとってしまい、幸子を無視する形になったのです。
別に幸子を嫌っているわけではありません」
「そうなの……」
すとんと肩の力がぬけた。
「さてと」と、バシャリが腰をあげた。「では、帰りますか。周一には私が謝ってあげます。私の謝罪能力は相当なものですよ」
「うん……」
わたしは弱々しく言った。なんだか子供に戻ったみたいだ。
家に到着しても、戸を開ける勇気が出なかった。どんな顔でお父さんに会えばいいのかわからない。
バシャリが焦れったそうに言った。
「幸子、何をしてるのですか。せっかく私が考案した謝罪の言葉を忘れてしまいますよ」
「もうっ……わかったわよ」
意を決して、ゆっくりと戸を開けた。電灯が玄関を照らしている。居間の真ん中で、健吉がすやすやと寝ていた。
その隣にお父さんが横たわっている。背広も脱がず、帽子もかぶったままだ。どうやら疲れ果ててそのまま寝入ってしまったみたいだ。
わたしは起こさないように居間に上がり、二人を見つめる。バシャリが口惜しそうに言った。
「周一、寝てしまいましたか……せっかく上質な謝罪の言葉を考えたのですが……」
ふいにお父さんの手のひらが目に留まった。ぼろぼろでしわだらけの手だ。何とも言いがたい想いが、胸の中にこみ上げてきた。
奥の部屋から布団を持ってきた。それを、お父さんにそっとかける。バシャリがあくびをした。
「幸子、そろそろ私たちも寝ませんか?」
「先に寝てていいわよ。わたしもう少し、ここにいるわ」
「そうですか。では、お先に失礼します」と、バシャリは階段を上がっていった。
しばらくの間、わたしは家族二人の寝顔を眺めていた。
8
ガチャンガチャンとポンプを押して井戸水を汲み上げる。近頃、バシャリが暇さえあれば草ぬきをやってくれるので、庭はびっくりするほど綺麗だ。
九月も半ばを過ぎたにもかかわらず、今日はとても暑い。ひたいに汗をかきつつ、ひしゃくで地面に水を撒いていると、
「やあ、幸子おはようございます」
バシャリが縁側から声をかけた。その顔を見てわたしは眉をひそめた。バシャリの目元に目やにがびっしりついていたのだ。
「ほらっ、目やにがついているわよ」
「おお、そうですか」バシャリが腕で顔をぬぐった。
「もうっ、何してるのよ。早く顔を洗ってきなさい」
「顔を洗う? それは何ですか?」
バシャリが首をかしげた。
「あなた、もしかして顔の洗い方も知らないの?」
「ええ、知りません。教えてください」
この人、これまで顔を洗ってなかったのか、と思うと不潔さに怖気がたってきた。
「水を手で受けとめてこう洗うのよ」と、顔を洗うしぐさをしてみせる。
バシャリは、ははっとわらい声をあげた。
「おおっ、なるほど。実に、原始的で愉快な衛生手段です。これが顔を洗うですか」
と、幾度もそのしぐさをくり返している。
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