note連続小説『むかしむかしの宇宙人』第55話
美加子さんがメジャーを片手に言った。
「じゃあそこに立ってちょうだい」
さきほどまでの陽気さが消え失せ、声色に真剣さがにじんでいる。わたしはすぐさま鏡の前で直立した。
美加子さんは、てきぱきと採寸をはじめた。わたしの胸元にメジャーをまわすと、
「あらっ、あなた結構胸があるのね」
美加子さんは意外そうに言った。
「本当ですか? それはたしかに驚くべき事実ですね」
バシャリも同調する。
あわてて胸をかくした。この人たちには恥じらいがないのだろうか。
またたく間に採寸を終えると、メジャーを指に巻きながら美加子さんが訊いた。
「どんな服がいいかしら。何か希望はあるの?」
以前ショウウィンドーで見たまっ白なワンピースが脳裏をかすめた瞬間、言葉が口をついて出た。
「ワンピースとか……」
その言葉に自分自身でびっくりした。意識の底に埋もれていた願望が、勝手に浮かんだみたいだ。
「ワンピースね。ふん、ふん」
彼女は鼻歌を口ずさみながら、棚から布をさがし出した。
「これじゃないわね。これも違うわ」と、手にとると同時に投げ捨てる。こんなことをしているから部屋が散らかるんだ、と呆れつつ眺めていると、ある棚の前で美加子さんは手を止めた。
「おっ、いいのがあったわ」
ひとつの布が引き出される。
「綺麗……」
ぽろりと声がこぼれる。緑色を基調とした地に白の水玉模様が描かれている。水玉だけでも十分素敵なのに、白と緑の色合わせが絶妙だった。
「どうやらお気に召したようね」
その反応に気を良くしたのか、彼女は上機嫌で言い、紙と鉛筆をわたしに手渡した。
「どんなデザインにするか描きなさい」
「でもこんなに素敵な布、高いんじゃ……」
「これ、業者がサンプル用にって置いていったものなの。まったく使ってなかったからかまわないわ」
「そんな……それにわたし、デザインなんか描いたことありませんわ」
首をふるわたしに、美加子さんは「いいから描きなさい」と有無を言わせない口調で命じる。
しぶしぶ鉛筆を握り、紙に向き合った。けれど意に反して、手が勝手に動きはじめた。
ショウウィンドーのまっ白なワンピースを緑色に変えて、胸元にフリルを付け足した。
「幸子、上手じゃないですか」と、バシャリが声を弾ませた。わたしは夢中で鉛筆を走らせた。
「うん、いいじゃない」美加子さんは、わたしが描き終えたイラストを手にすると口元をほころばせ、ほうっと息を吐いた。
「プリンセスラインねーー胸のフリルも可愛いわ。素敵ね」
プリンセスライン……きらびやかなその響きが、さざ波みたいに体の中に広がっていく。
美加子さんは白地の紙を広げると、定規を片手にさらさらと鉛筆を走らせ、型紙を作りはじめた。
とんでもない速さだ。その踊るようになめらかな手つきに、つい見入ってしまう。
型紙を作り終えると、美加子さんは手早く布地を切りだした。あまりに無造作にハサミを扱うのでひやっとしたけれど、その心配はすぐさま消えてなくなった。
ハサミと指がひとつに重なり、音もなく布をさく。机の端から雪が降りつもるように、余った布が音もなく落ちていく。
水玉の雪……
緑の空から降りおちる純白の雪に、わたしは呆然と見とれた。
「さっ、できたわ。縫い合わせはあなたにやってもらいましょうか」
ハサミを置くと、美加子さんは手で首筋をもんだ。その言葉でようやく我に返った。
「おっ、やっと幸子の出番ですか。あなたがすべてやってしまうのかと心配しましたよ」
バシャリがあくび混じりに言った。
美加子さんはふふんとわらう。「そんな野暮じゃないわよ」と、わたしをミシンの前に座らせた。
「まずは、こことこことを縫ってちょうだい。失敗したらほどいてやりなおせばいいんだから気にせずにね」
「はい」と、わたしは緊張しながらも力強く足を踏み込んだ。よくしつけられた犬のように、ミシンは忠実に布を縫い合わせていく。
美加子さんの指示にしたがい、ミシンを操る。美加子さんの声とミシンの振動の他には、何も感じられない。
ただ、ひたすら布と糸の世界に没頭する。おだやかな海に浮かぶような心地よさにひたり続けた。
「じゃあ、今日はここまでにしましょう」
わんと耳の中で声がうねった。ミシン以外のものが目に入り、周囲のざわめきが聞こえる。ようやく現実の世界に戻った。
わたしはゆっくり、長く息を吐き出した。気がついたら一時間も経っている。これほど集中したのは、生まれてはじめてだった。バシャリが手を叩いた。
「幸子、素晴らしいミシンの腕前でしたよ」
「あなたまだいたの?」
素直に驚くと、バシャリが口をとがらせた。
「いたのじゃないでしょう。ずっとここで幸子を見てましたよ」
美加子さんがおかしそうに間に入った。
「集中したらそうなるのよ。じゃあまた来週、仕事終わりにでも来てちょうだい」
「えっ……あっ、はい」
まさか来週も来ることになるとは考えていなかった。バシャリは自分を指さした。
「私は、どうしましょうか?」
「あなたは来なくていいわ」と、美加子さんが手をふると、バシャリがへそを曲げた。
「どうしてですか。宇宙人差別はやめてください」
「冗談よ。冗談。あなたも来てちょうだい。人間でも宇宙人でも、それだけ男前なら目の保養になるわ」美加子さんは大口を開けてわらった。
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