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私の現在過去未来への夢

私は27歳の誕生日を迎える月に、ずっと涙が止まらず寝られず、仕事では定規で線を引くことすらできず、精神がぼろぼろになってしまいました。
 自分が自分でなくなりもうどうすることもできない。
 
 なぜそうなったのか、書くことを躊躇しましたが真実を書き綴りたいと思っているので、格好をつけても仕方がないと思い書くと決心しました。

 恥ずかしながら、結婚をしようと思っていた学生時代から付き合っていたお相手とお別れしたことがきっかけでした。 どうしても乗り越えられない壁があり、自分一人で抱え込みました。そのことを誰にも言えず、両親になんてとても言えなかったのです。 しかし、別れがあり誰にも言っていなかったことを、周りの友人も両親も知っていたのです。
 私はそこから周りの人々に「申し訳ない、申し訳ない」と強く思うようになり、結果その相手にも私が思うことを話すこととなり「深く相手を傷つけてしまった」
 
もう私一人では解決できる問題でもなく(その問題は申し訳ございません。書くことを控えさせていただきます。)
 自分を責め続けた。 結果、先ほど書いた症状が出だした。 当時の職場の先輩に「こういう病院あるから一度行ったほうがいい」と私が見ていたフリーペーパーにでている心療内科に行くことになった。 

 5月31日私の27歳の誕生日に病院に初診で行きました。もう考えることもできず、ご飯も食べられない・・・。どんどん瘦せてしまっていました。

 しかしその病院ではなぜか血圧を測り、脈をとり、薬を出すだけ。

 これが6か月以上、よくなるはずもなくどんどん酷くなりました。ある日職場の上司に呼び出され「長い人生だから、少し休みなさい。仕事のことは忘れなさい」と退職することになりました。しかし一向に良くなる気配がない。

 もう私は生きる意味すらわからなくなっていました。私は人を傷つけることしかできない人間だ・・・。どんどん自分が壊れていく。

「このままでは私、違うところに行ってしまう」

当時は精神科・心療内科は今程開かれたところではなかったと思う。 しかし私は当時のネット情報で口コミを探して、「生きなきゃ」と「私このままでは・・」と頭の中がいっぱい。

 そしてやっと見つけた病院に藁をもすがる思いで行きました。
 その病院は大変人気のお医者さんで、待ち時間が2時間以上は当たり前。
 初診の時のことは忘れましたが、確か心理テスト受けて、私のことを一時間以上話した記憶・・。前の医者とは違う。

 この先生にお任せしよう。 それから10ン年の付き合いになった。
この主治医の先生にはいろいろお世話になった。 そして相談して「転地療養」のタイ行きの許可が出た。

 それは病気になる1年前に初めて訪れたタイの旅行。 私にとって初海外。
某CMで「若いうちにタイに行け」って文言。 本当にそう思う。

 日本と違う時間の流れ、職場で平気にご飯食べている。 まったりした空気感。
まさにたらいが頭に落ちてくるドリフのような衝撃だった。 

 それから一年、私は病気になっていた。 うつ病だ。もう何もかもが楽しくない。毎日が長く、途方に暮れる。 夜が来て、朝になる。

 しかし両親は私をタイに連れて行ってくれた。若干の飛行機がしんどかったという記憶はある。 転地療養の一種であった。 
 私の場合、周囲の話し声がすごく耳につきしんどくなる(自分の悪口を言われている感覚に陥っていた)。
 言葉が分からないタイに行けば、少し楽になり元気な時には外に出て、動けないときは部屋で寝る。
動けるときにタイと言えばゾウと連想される単純な私は、ゾウのいる動物園に行きゾウのやさしさや賢さに触れゾウに魅了されていきました。 そして癒されたのでした。
 
 転地療養は何年も行かせてもらいました。

 本当に両親には感謝です。 食欲もなく、それでも外へ連れ出してくれた。体調が全く読めない私を・・。

 タイに連れ出してくれて、タイが本当に私の病を緩めてくれた。 タイに行くために生きているといっても過言ではなくなってきている。

 今まではタイの言葉が分からなくて楽だ!と思っていたのに、今ではそのタイ語を勉強している。 タイの人々と会話してみたくなったのだ。 タイの人々が何を話しているか知りたくなり、街の看板のタイ語を理解したくなった。
 幾度と挫折した言葉を今も挫折しそうになるが楽しく、いや難しいなと思いながら頑張る。
 次行くときは、少しでも会話をしてみたりしたい。また、文字が少しでも読めたらいいな。

 今の自分が好きだ。 病気して周りに人がいなくなったこともあった。
この私を「おもしろい」と思ってくれたり、仲良くしてくれる人が少しでもいて、昨年知った「発達障害グレーゾーン」という事も含めて、今の自分が好きだ。

 昔から思っていたが、日本はいい国だと思う。しかし息苦しい、生きづらい。横一列で周りを気にして、こんな世界はつまらない。 もっとタイのように寛容な社会で私は生きていきたい。 そう気づいたのはアラフォーでした。

 日本は生きるのに窮屈だ、タイに行きたい。タイに住めたらどれだけいいだろう。
緩く生きていきたい。(メンタルの面で)


 緩く生きて、今までの私の体験をタイで活かしてみたい。

 タイに住む日本人またはタイ人の、そして日本に住む日本人。
何か心に負担のある方の癒しある空間を作りたい。 また大人になってから知った発達障害(私はグレーゾーンだが)だと知った人が生き生きと生きていける方法を見つけたい。 まずは私が見つけたい。

 漠然とした夢だと思います。それはとても難しいかもしれない。「アラフォーで何を寝ぼけたことをいっているのだ。」と思われてもいい、具体的な夢とはかけ離れすぎていても。

 その為にボランティア活動をやりたい。学生時代いろいろとこっそりやっていましたが、大人になってから自分が病気になりそれどころではなくなっていた。
 また今となってボランティアをもう一度やってみたいと思った。

 こんな私でも役立つことはあるのではないかと思うのです。 
 タイに行って、癒してもらったゾウに恩返ししたくゾウ園でのお手伝いなどやりたい。 
   そしてコロナ禍で知り合ったタイ人の方が何かの財団で働かれていてクロントーイのスラム街を見学させてもらえる約束をしています。 そこからも何か得られるのではないかと思う。

 もっとタイを知りたい。転地療養で助けられたタイ。

 今はまだのんびり生活で、自分に向いている仕事を探すところから始まるのですが、その道が必ずタイへつながっていると信じています。


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ゆかっぱの私の心と歩く旅
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