【魔法少女】【感想】アニメ『おジャ魔女どれみ♯』〜様々な愛情の形〜
こんにちは、唐梨です。
今日は『おジャ魔女どれみ♯』の感想について書こうと思います。
それでは早速いってみましょう。
『おジャ魔女どれみ♯』とは?
2000年2月~2001年1月にかけて放送されたアニメで、おジャ魔女どれみシリーズの第2作目。今作から初登場の魔女の赤ちゃんであるハナちゃんを、どれみたちおジャ魔女4人が育てることになるお話。
と同時に、前作では魔法グッズのお店だったMAHO堂も、お花屋さんとしてリニューアル。育児 × 花を主軸に、今作も様々な人間模様が織り成されます。
なお、過去シリーズの感想noteはこちら。
シリアスで優しい「愛情」のストーリー
『♯』のテーマは「愛情」です。そのため、ハナちゃんの育児を主軸に、様々な登場人物の、様々な形での「愛情」が描かれています。
では、『♯』だけでなく全てのおジャ魔女シリーズの歴代テーマは何かというと、以下の通りです。
上記を見ると、『♯』以外のテーマは学校内に比重が置かれたテーマなことに比較して、『♯』のテーマのみ家庭内に比重が置かれたテーマなことが伺えます。
このことから、『♯』はシリーズ内でも独特の空気感をまとっており、シリアスな話が多いです。もっというと、そのシリアスな話におジャ魔女シリーズの特徴である、心の機微をこまやかに描いた優しさが添えられた話が多いです。
まぁもちろん「シリアスで優しい」というのはおジャ魔女シリーズ共通なんですけども。ただ、『♯』以外のシリーズはテーマ的に学校内でワイワイドタバタしている部分も多いので、その違いという感じです。『♯』はどれみちゃんたち主人公子供組だけでなく、脇役大人組の登場人物が主役になるような話も多いので。
ということで、前置きが長くなりましたが、以下に私が感じた『♯』の「愛情」にまつわる感想を書いていきます。
冒頭の第2話で既に泣ける
もうこれよ。初っ端からブーストかけて泣かせにくるストーリーなんですよ。第2話なのに泣けますもん。そしてその理由は、
という背景にあるんじゃないかと、私は思っています。これの何がすごいって、子がいない独り身の私ですら大人の今見ると感動していることです。
おジャ魔女シリーズは本当に心の描写が緻密で、一つ一つのエピソードが丁寧に積み重なっている。だから冒頭からブーストかけて、真っ向切って育児を描けるのだなと思うのです。そして、真っ向切って描くということは、子供向けだからと手加減しないことにも繋がります。
結果、大人になって視聴しても感動するし、なんなら育児というテーマの都合上、大人になることでなおさら感動するし、さらに子がいる大人はそれ以上になおさら感動する。そんな作品になっています。
多様な視点で再構築される春風家
冒頭で今作のメインキャラはハナちゃんと書きましたが、そのハナちゃんの育児を通して成長する、主人公春風どれみちゃんにまつわるエピソードが本当に素晴らしいです。
どれみちゃんは「ハナちゃんのママ」でもあり、「はるかママと渓介パパの娘」でもあり、「妹ぽっぷちゃんの姉」でもあり、「春風家の家族の一員」でもあります。
『♯』はこの春風家を様々な角度から再構築する話が多く、どのエピソードも名作ぞろいです。家族というものは、それぞれの立場によって見えている風景や考えている内容も違う。さらにその立場も、誰を相手にするかによって「母」「娘」「妻」のように相対的に変わる。そのせいで戸惑うこともあれば、新たな気づきを得ることもある。そしてそれぞれの立場なりに、時には喧嘩をしながらも、日々を精一杯生きて、互いを思いやり助け合う。「家族になる」という動詞はこういった過程も全て引っくるめて意味するのだろうなと思いましたし、そうやって作られてゆく終わりのない有機体が「家族」なのかもしれないと思いました。
そんな春風家の家族模様に焦点が描かれるおすすめエピソードは下記4話です。
どれも粒ぞろいの名作ですが、その中でも特に「第40話 春風家にピアノがやってくる!」は私の中の珠玉の名作。
表向きにはどれみちゃんとぽっぷちゃんの姉妹の絆を描きつつ、はるかママの葛藤、渓介パパの漢気、どれみちゃんの普段のドジなおちゃらけキャラとは打って変わった家族全体を俯瞰する大人な対応など、わずか30分に満たない話ながら、どの瞬間も見逃せない描写の数々です。
この第40話の真の主人公は、どれみちゃんでもぽっぷちゃんでもなく、はるかママなんですよね。過去に怪我でピアニストの夢が破れたトラウマと、その反動で娘のどれみちゃんにもピアノ関連のトラウマを植え付けてしまった育児の後悔と罪悪感を抱えている。だからずっと蓋をしていて、あれほど大切なピアノも売り払ってしまう。春風家は間違いなく素敵な家庭を築いているのですが、ピアノに関してだけは、腫れ物扱いのような、歪な空気があったのです。
だけど、末っ子で当時のことを知らないからこその、ぽっぷちゃんの無邪気で純粋なピアノを習いたいという発言から、止まっていた物語が動き始めます。この時のはるかママの心の葛藤〜救いを見出しトラウマを昇華するまでの過程は、「母」でも「妻」でもなく「一人の固有名詞としての春風はるか個人」としての側面が強いように思います。とても泥臭い。
いくら社会的に「〇〇くん or 〇〇ちゃんのママ」という肩書きであろうと、それ以前に一人の感情を持った人間なわけであり、そもそも完璧なママなんていないし、育児に失敗や後悔だってある。表立っては言わずとも、心のどこかで我が子に申し訳なさを感じている人だっているでしょう。反対に、子供から「親子関係」というより「対等な個人と個人の人間関係」として何かを助けられた人もいるかもしれません。
第40話までのはるかママは、どれみちゃんに「ハナちゃんのママ」としての心得を教え導く、頼れる先輩ママとしての描写ばかりだっただけに、この描き方のギャップの演出力は大きかったです。
…と、テーマの都合上はるかママのことばっかり書いちゃいましたが、実は渓介パパが第40話の全編通してカッコイイんですよ、これがまた。日頃はどちらかというとはるかママの尻に敷かれていたり、女3:男1の家庭内男女比で肩身が狭そうに描かれていた渓介パパですが、ここぞの時はしっかり決めるっ!この包容力と漢気、そりゃはるかママも惚れるし、どれみちゃんやぽっぷちゃんも素敵に育っているわけだ、と納得の人柄です。
そんなはるかママ、渓介パパ、どれみちゃん、ぽっぷちゃん四人の想いが様々に交錯した第40話のラストを締めくくる、はるかママの「今日ほど子どもを持って良かったって思ったことないわ」というセリフに、彼女のあらゆる想いが詰まっています。自分が人生のどのタイミングで視聴するかで、感情移入するキャラクターも、視聴後に抱く感想も、大きく変わる第40話でした。
様々な家庭の様々な「愛情」
上記の春風家は、愛情深いパパママに、お金持ちではなくともピアノやマイホームやマイカーを買えるくらいには生活に不自由していない家計レベルなど、暖かい理想の家庭の代表のような存在でした。
ですが、現実はこのような家庭ばかりではありません。『♯』はそこも描いています。親の離婚や死別。片親や継母。単身赴任。過保護。さらには人間のみならず魔女の母娘関係まで。
絵に描いたような家庭だけが、愛情の象徴ではない。血のつながりだけが、愛情の象徴ではない。家庭の数だけ正解があり、家庭の数だけ様々な愛情の形がある。そう教えてくれています。
「第15話 母の日とお母さんのにがお絵」はその真骨頂でしょう。あいこちゃん、しおりちゃん、矢田くん、関先生ら四人の「片親の子」に焦点を当てたお話です。子供の頃は気づきませんでしたが、今改めて視聴するとかなり挑戦的な内容なことに驚きますし、その挑戦的な内容と女児向けアニメらしさを両立している手腕にも驚きます。「片親の子」を特別扱いするでもなく、腫れ物扱いするでもなく、だけど現実の厳しさはしっかり教えつつ、ニュートラルに接する関先生のキャラクターが光ります。
また、魔女の母娘関係エピソードもとっても魅力的。当たり前のことながら、メインキャラであるおジャ魔女たちとハナちゃんに血のつながりはありませんが、それなのになぜママとして育児をするのかというと、おジャ魔女シリーズの世界観において魔女は花から生まれる設定だからなんですね。つまり、生みの親ではなく育ての親としての母娘関係が生じるわけです。
ということは、魔女の数だけそれぞれの母娘の形があるわけですが、『♯』はそこも描いてくれています。どうしても本筋がハナちゃんの育児なので、話数としてはちょこっとだけなのですが、ちょこっとだけなことが惜しまれるくらい魅力的なキャラやエピソードでした。マジョハート先生の娘のマジョランとか、マジョリカの母のマジョリリカとか!あの俗っぽいマジョリカが、マジョリリカの前ではしおらしく照れながら嬉しそうに「リリカママ」呼びする姿は、ほっこりしてしまいます。
やっぱりしんみりしたラスト
さて、さんざんメインキャラ以外について書いてきましたが、ここでようやく本筋に入ります。
前作同様しんみりしたラスト
これは前作の『おジャ魔女どれみ』無印の時にも思いましたが、最終回がすごくしんみりしている。なぜかというと、無印の場合は魔女の資格を失ったからで、『♯』の場合は魔女の資格を失ったうえにハナちゃんに二度と会えないダブルコンボだからです。ぜんぜん大団円のハッピーエンドな終わり方じゃないんですよ。哀愁や切なさ漂う終わり方なのです。
(まぁメタ的なことを言えば「結局あともう2作、魔女見習いとして復活するやん」となるのですが、それはあくまでメタなので置いておきます。笑)
どれみちゃん達は、ハナちゃんのおかげもあって、奇跡的に1000年の眠りの呪いを跳ね除けることができた。だけど、水晶玉は割れてしまった。水晶玉が割れては魔女にはなれない。
このように、掟や因果応報についてすごくシビアなんですよね。「水晶玉は割れちゃったけど、あなた方の働きに免じて、特別に魔女になっていただいて構いません。どうぞハナちゃんにも面会してください」みたいなのがない。「1000年の眠りから目覚めただけでも奇跡的なのだから、もう十分でしょう。今までよくやってくれました」というスタンス。この淡々とした現実的な感じが、女児向けアニメらしからぬシビアさで、あぁこれがおジャ魔女シリーズなんだなぁとしみじみ。
おジャ魔女4人の覚悟と度量が凄まじい
あとは何より、おジャ魔女4人の人間が出来すぎている!!!最終決戦で、ハナちゃんを救うには、自分たちは引き換えに千年の眠りにつかなければならないという選択を迫られた時に、葛藤の末に1000年の眠りを選ぶシーンがすごい。
自分のパパやママなど、今の家族と二度と会えなくことが葛藤する要素の一つなのですが、「〇〇家の娘」としての自分よりも「ハナちゃんのママ」としての自分を優先するのです。
「1000年の眠り」と表現されてはいますが、今世で普通に生きていたら会えていたであろう人と会えなくなるという点では、その意味はほぼ「死」と同義です。アラサーになっても独り身の私からしたら、いくらフィクションだとしても小学校4年生でここまでママとしての覚悟や誇りを持てているおジャ魔女4人は本当にすごい。私はここまで「娘としての私」より「ママとしての私」を優先できるだろうか?と自分に問うた時に即答できないなと(もっとも、これも自分が結婚したり出産したら感想が変わるのかもしれませんが)。
また一方で、どれみちゃんが1000年の眠りについて「へっちゃらだもん。大親友のはづきちゃん、あいちゃん、おんぷちゃんがいるもん」という発言をしているのですが、この信頼も素晴らしい。前述のママとしての覚悟はもちろんそうなのですが、その根っこには4人が本当に良い人間関係を築いていて、4人全員でハナちゃんのママだからこその、1000年の眠りへの覚悟なんだなと思ったのです。
「ハナちゃんを育てさせてくれてありがとうございます」のセリフ
そんなおジャ魔女4人の人柄が端的に伝わるセリフが、最終回にておんぷちゃんが言った「ハナちゃんを育てさせてくれてありがとうございます」です。
なかなか言えないですよこんなセリフ!自分の子でもないのに!それどころか種族も違う子なのに!なんなら魔女界の都合に巻き込まれた側なのに!いや〜この最後の最後にこのセリフ、これは痺れましたね。
その他細々とした感想
さてここからはエピソード以外の細々とした感想を。
衣装がシリーズで1番かわいい
私は『♯』の魔女見習いの服って、歴代で一番かわいいな~と思っています。上品なフリルのようなひらひらが付いた、ワンピース風の衣装なんですよ。
さらに『♯』のみ、ロイヤルパトレーヌという強化版フォームがあり、それもまた可愛い!こちらはお花がモチーフなのと、白色がメインの淡い色調で、花嫁衣装のような清楚なかわいらしさです。でもあくまで強化版フォームなので強いというね。かわいい顔とかわいい服で、オヤジーデをばんばん返り討ちにしています。笑
オヤジーデとFLAT4
そんなオヤジーデと、あとはイケメン集団FLAT4がいい味出していました。特にオヤジーデがハナちゃんに懐かれている姿が微笑ましいです。ハナちゃん、誘拐されている側のはずなのに、オヤジーデが大好きで終始ニッコニコ笑顔なので緊迫感が薄れて、シリアスなシーン多めの今作において貴重なほっこりギャグシーンでした。
大谷育江さんの名演技
あとは何より、ハナちゃん役の大谷育江さんの名演技よ!!!なんでこんなに0歳児の感情表現が上手なのでしょうか。0歳児だから日本語は喋れないのに。
ハナちゃんといい、ピカチュウといい、チョッパーといい、円谷光彦といい、この方が声を吹き込む役は平成前半に幼少期を過ごした者として欠かせず、子供時代の思い出のアニメを象徴するお方だなと思います(何なら今も続いているアニメがほとんどなのですが)。
最後に
近年ではすっかり定着した「毒親」「親ガチャ」という単語があります。
「誰のおかげで食えていると思っているんだ」という発言に対して「誰も生んでくれなんて頼んでない」という発言もあります。
親子の因縁というものは本当に複雑で、幸せな関係もあれば、絶縁したいくらい恨みつらみが積もっている関係もある。
ただ、それでも、現にこの世に生まれてしまっていることは事実。そしてその事実は変えられない以上、その中でどう折り合いをつけるかが、生きていくということ。
その指針の一つとして『おジャ魔女どれみ#』はありますし、私も、どれみちゃん達のように出来た人間ではないものの、少しでも『#』の価値観を忘れずにこれからの人生を生きてゆきたい。そう思わせてくれた作品でした。