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【魔法少女】【感想】アニメ『キラキラ☆プリキュアアラモード』〜大好きと大嫌いは表裏一体〜

こんにちは、唐梨です。
今日は『キラキラ☆プリキュアアラモード』の感想について書こうと思います。
それでは早速いってみましょう。




『キラキラ☆プリキュアアラモード』とは

2017年2月〜2018年1月にかけて放送された、シリーズ第14作目。通称プリアラ。テーマはスイーツアニマル

主人公の宇佐美いちか/キュアホイップを中心に、お菓子作りを通した人間関係や戦いが繰り広げられるストーリーです。



モチーフとキャラデザの可愛らしさ

さて、プリアラといえばキャラクターデザイン!!!特にプリキュアの衣装!!!

本作のテーマであるスイーツとアニマルって、どちらか片方だけでも十分にインスピレーションが降ってくるモチーフだと思うんですよ。それを2つ同時に採用して組み合わせようなんて「よく思いつきましたね!?」ってなります。私が制作スタッフだったら、次回作のモチーフに1つ取っておこうよと出し惜しみしちゃうと思いますもん。笑

しかも実際、2つのモチーフをてんこ盛りにしているのに消化不良になっておらず、うまいこと調和しているのだからすごい。まさにお菓子作りのように各デザインがうまく混ぜられているし、お菓子のスイーツバイキングのように各デザインが個性を出して並べられています。

これはデパプリの感想noteの時も書いたのですが、プリアラとデパプリが、癖が強くて個性的だけどしっかり可愛いデザイン部門において二大巨頭だと思います。やっぱり食べ物がモチーフだと、いろいろと意匠を凝らしやすいのかもしれませんね。今作も、キュアジェラートのアイスクリームを模したスカートとか、キュアショコラの板チョコを切るような動作の変身シーンとか、いろいろ見どころ盛りだくさんなんですよ!ぜひ見ていただきたいです。



キラキラルという概念のすばらしさ

次に書きたいのが、キラキラルという概念のすばらしさ。キラキラルとは作中に出てくるオリジナル用語で、公式では

スイーツに宿る、人を元気にするエネルギー。プリキュアの力の源であり、星の形でキラキラしている。スイーツを食べると元気になれるのは、このキラキラルが宿っているから。キラキラルの力を利用するため、むやみに奪おうとする者がいちかたちの前に現れる。

https://www.toei-anim.co.jp/tv/precure_alamode/story/

と説明されています。このキラキラルを元にプリキュアに変身したり、技を繰り出したりできますし、逆に敵側がキラキラルを利用して悪事を働くこともできます。ものすご〜く手っ取り早く言えば、RPGゲームでよくある霊力や魔力みたいなものです。

ただ、霊力や魔力と違うのは、選ばれた霊能者や魔導士しか使えないわけではないという点。キラキラルは想いを込めて作られたスイーツには必ず宿っています。つまり、キラキラルはプリキュアだから生み出せるわけではなく、モブキャラの一般人でも誰でも生み出せるエネルギーなのです。もっとも、なにせ元がエネルギーなので目には見えず、それを見ることができるのはプリキュアだからこそですが。

で、キラキラルの概念の何がすばらしいかと言うと、誰でも生み出せるエネルギーである点と、主人法補正の理由が分かる点です。



誰でも生み出せるエネルギー

たとえば、女児向けお菓子作りアニメの先駆者にして金字塔といえば『も〜っと!おジャ魔女どれみ』で、この作品もスイーツで人を幸せにする点は共通しています。ただ違うのが、こちらはパディシエポロンという魔法の道具を使って魔法の素をお菓子に振りかける描写で、作り手の気持ちや想いを表現しています。

大前提、私はおジャ魔女世代ですし、『も〜っと!おジャ魔女どれみ』も大好きな作品といううえで、ここだけは「パディシエポロンを使っちゃうと、魔法が使える人しか魔法の素を扱えないことになっちゃうから、一般モブキャラが同じことできないのが惜しいな〜」と子供心に思っていたのです。なので、キラキラルの表現方法はなんだか嬉しかったです。



主人公補正の理由が理屈で分かる

また、主人公のいちかちゃんは常人よりもキラキラルを生み出す量が多い、という設定があるので、お約束とされがちなピンチの際に新たな力を手に入れて逆転する主人公補正現象を、理屈としても説明できます。

というか、いちかちゃんに限らず全プリキュアに共通する「絶対に諦めない心」とか「誰かのために何かをできる優しさ」とかも、あえてプリアラ風に言えばキラキラルの発生源である心の強さや想いの強さだと思うので、彼女らがプリキュアとして覚醒できるのも納得だなぁと。



他のあらゆる身近な現象にも応用可能

あと、キラキラルの概念は、他のあらゆる日常にも応用可能な考え方だなも思っています。これに気づけたのは、琴爪ゆかり/キュアマカロン役である藤田咲さんのインタビュー記事のおかげ。

──やはり、お客さんの声援が有るか無いかで、演者の皆さんのテンションも変化してくるものですか?

藤田:もちろん、全然違います。お客さんからキラキラルが溢れていると、そのキラキラルを何倍にもしてお返ししたいなって思えるので。

https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1504174511

この部分を読んだ時に、すっごく腑に落ちたのです。あ〜〜〜デビューしたてのアイドルが初ステージ後にどんどん綺麗になっていったり、宝塚でトップ娘役が就任後に急激なスピード感で美しさに磨きがかかるメカニズムはこれかと!

私はアイドルと宝塚も好きなのですが、デビュー時点で既にお顔が完成されている美人さんたちが、ライブや取材や撮影など、お客様やファンの方々に見られることによって、ますます美人になっていく過程を追うのがめちゃくちゃ好きなんです!!!既に美人だったのに、それでも毎回過去最高のビジュアルを更新するって、裏でものすごく努力していると思うから。あとは立場による責任感や自信など、精神的な部分も雰囲気やオーラの美しさに影響していますよね。

なので、私もなんとなく感覚で「見られる」ことが美に拍車がかかる現象のトリガーなんだろうなと思ってはいたのです。そして、この「見られる」をさらに細かく「観客のキラキラルが彼女たちに届いて、さらに彼女たちが元々持っているキラキラルと相乗効果で増えていって、美しくなっていく」と分かりやすく説明できることに、キラキラル論のすごさを感じました。

そんなキラキラル論は他の事象にも応用できて、以下なども同じメカニズムだと思います。

✅卒業発表したアイドルやタカラジェンヌの、卒業当日の美しさが最高にカンストしている理由。
✅よく恋をしたり彼氏ができると綺麗になると言われる理由。
✅料理で愛情が隠し味と言われる理由。
✅生のスポーツ観戦とTV中継がぜんぜん違うと言われる理由。
✅どれだけコロナ禍でオンラインの技術が発達しても、ウェブ上の対面と直接対面は、心理的にぜんぜん違うと言われる理由。

また、以前にnoteでライブや舞台のカーテンコールが大好きだと語ったことがあるのですが、おそらくこれも同じ理屈でしょう。

以上のように考えると、どんな人にもキラキラルを生み出す力は眠っているわけで、自分はキラキラルを生み出せる毎日を過ごせているかな?自分にとってキラキラルをたくさん感じられる瞬間や場所や人は何かな?と問いかけてみるのも、人生を送るうえで大切なことかもしれません。



大所帯チームだけど丁寧な心理描写

さて、ようやく本編についての感想を。

まず思ったのは、登場人物の心理描写の濃やかさです。プリアラは6人チームであり、これは『Yes!プリキュア5GoGo!』と並んでシリーズで最も人数が多い大所帯の作品。しかし、プリキュア側はもちろんのこと、敵側の心理描写も濃やかに描かれており、全49話を通してたっぷり丁寧に味わうことができます。

これだけ登場人物が多いと話がとっ散らかりそうなものですが、全然そんなことはなくて、なんならキャラ単体の掘り下げのみならず、各キャラ同士の関係性も濃密に描かれています。そのため、大所帯だからこその様々な関係性が垣間見られて、むしろおいしい。特に敵側なんて、ジュリオやビブリーはストーリーが進むにつれて憎めなくなっちゃう。



「大好き」の気持ちと闇堕ち

また、プリキュア側も闇堕ち回が多く、その闇堕ち回の敵の精神攻撃も割とエグいのですが、それを跳ね除けて光の世界に戻ってくるシーンが最高にカッコいい。

プリアラは「大好き」の気持ちもテーマの一つですが、たいてい闇堕ちする時はこの「大好き」の気持ちを敵側につけいられるパターンが多いです。

つけいられ方もプリキュアごとに様々で、「大好き」で真剣に取り組んでいるからこそのスランプだったり、自分の「大好き」のせいで他の誰かを苦しめているのではないかという疑惑だったり、そもそも自分には「大好き」がないことへのコンプレックスだったり。

どんなつけいられ方にせよ、やはり精神攻撃はかなり心にきますから、プリキュアたちも一度は自分の「大好き」を疑ったり手放そうとしてしまいます。

でも!

やっぱり違う。今の私があるのは「大好き」のおかげだ。確かに「大好き」のせいで味わわなければならない闇もあるかもしれないけれど、私の中には「大好き」の光もある。そう考え直して、闇に打ち克つのです。

プリアラの前々作である『Go!プリンセスプリキュア』の主人公キュアフローラも「夢も絶望も、その両方が私を育ててくれた。嬉しいこと、悲しいこと、全部ひっくるめて夢ってことなのかな」という名台詞を残していましたが、それに通ずるものがあります。

夢の裏側には、それが叶わなかった時の絶望がある。「大好き」の裏側には、スランプやトラウマで否定してしまった時の「大嫌い」がある。光があれば必ず影ができるように、光だけの世界はありえません。残念ながら、生きている限り、希望だけの世界も「大好き」だけの世界もないのです。もしあるとすれば、それは天国や極楽浄土のように現実世界ではない場所での話でしょう。

「大好き」と「大嫌い」が表裏一体である以上、消すことはできない。であれば、両方とも認めて受け入れるしかない。ただ、受け入れるには受け入れられるだけの心の度量が必要で、その度量があったから、プリキュアたちは闇堕ちから戻ることができたのだと思います。



最初から0なのと、色々あって結果的に±0なのは違う

しかし、この考え方に異を唱えたのが、ラスボスのエリシオでした。彼はプリキュアと敵側との争いをずっと見てきました。そして、光と闇の争いは終わることがない、だったら光も闇もない世界になってしまえばいい、という結論に至ったのです。

こうして、ラスボス戦ではエリシオの力によって「大好き」も「大嫌い」もない世界になってしまいました。喜びを感じることもない代わりに、悲しみを感じることもない。楽しい思い出に浸れない代わりに、辛い思い出に苛まれることもない。良いこともないけど、悪いこともない。つまりは虚無の世界です。肉体的には生きていますが、精神的には死んでいます。

もちろん、エリシオの言うことも一理あるとは思うのです。「こんなに辛い思いをするくらいなら、最初から好きにならなければ良かった」と思ってしまう経験は、何かに打ち込んだり、入れ込んだことのある人なら一度はあるはず。失恋でも、ペットとの死別でも、仕事の昇進でも、スポーツの勝ち負けでも、推しの引退でも、何であっても。私にもあります。

でも、それはつい口をついて出てしまった表面上の気持ちではないでしょうか。本当に心の奥底の根っこの部分から「なんでこんなものを好きになってしまったんだ」と後悔しているのでしょうか。きっとそうではなくて「好きになったことで、おもしろさや喜びや感動もたくさん与えてもらった」という気持ちだって、ちょっぴり混ざっているはず。

どこで読んだかは思い出せないのですが、以前に何かの本かwebメディアで「めんどくさいばかり言っていると、そのうち生きていることすらめんどくさくなって、そうなると死ぬしかなくなる(意訳)」と書かれている文章を読んだことがありました。確かにーーー!とすごくしっくりきたことを覚えています。あまりに合理的すぎたり、行き過ぎた効率厨になると、本質を見失う事態に陥りかねないのだなと。レベル感はだいぶ違いますが「どうせメイク落とすなら最初からすっぴんでいいじゃん」みたいな考え方も同じですね。

ここに生きることの意味が隠れている気がします。極端に言ってしまえば、生きることはめんどくさいのです。クレンジングすると分かっていてメイクをするし、いずれ卒業すると分かっていて推しを好きになるし、いつかは死ぬと分かっていて生きている。しかし、逆説的ですが、その繰り返しが生きることだと思うのです。

エリシオのように「どうせ辛い思いをするなら、最初から大好きも大嫌いもない世界でいいじゃん」という考えは、+も−もない0です。一方で「すごく大好きだったけど何らかの出来事でとても辛い思いをした」という場合は、分かりやすくポジディブな思いとネガティブな思いを1つずつ経験したとみなすと±0です。両者は結果として現れる数字は同じ0ですが、結果に至る過程はまったく違います。

そうであれば、どちらの0がいいでしょうか。私は後者の0がいいと思いました。なんなら後者の0は確定ではなく+で終わる可能性だってあります。もちろん物事は表裏一体なので、逆に言うと−で終わる可能性もあるわけなのですが、それすら引っくるめて、やっぱり後者の0がいい。というか、後者の0がいいと思える価値観の自分でいたい。エリシオの虚無の世界を、キラキラルの力で元の世界に戻したプリキュアたちを見て、私はそう思いました。



最後に

「愛の反対は無関心」「嫌よ嫌よも好きのうち」とはよく言ったもので、「大好き」と「大嫌い」は裏表の関係です。それでも「大好き」の気持ちに正直に生きるプリキュアの姿は、子供でも大人でも必見。

ありがたいことに第一話は常に無料公開されているので、主人公いちかちゃんのキュアホイップへの初変身の勇姿をぜひ見てみてください!


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