ラストマイルの人々、溢れそうな心のコップ
映画「ラストマイル」を見た。
脚本が野木亜紀子さんであること、MIU404、アンナチュラルのシェアードユニバース作品であること、で話題になっていた本作を見て、
みんな心のコップの水がギリギリなんだなと思った。
心のコップに水がたまらないようにするにはどうすればいいかといつも考えている。特に、野木亜紀子さんの脚本作品では、そういう状況にある人々が頻繁に描かれているように思う。
MIU404、アンナチュラル、逃げるは恥だが役に立つ、獣になれない私たち
これらの作品が私は大好きだが、全てに共通していることは、心のコップが溢れそうな人々にスポットを当ててくれることだと思う。
映画では、物流業界で戦う人たちが主軸となり物語が進んでゆく。
私も仕事で、物流と関連のあるメーカーに勤めているため、考えさせられることが多くあった。
便利さと引き換えに失ったものはなにか、自分が使っているお金は何に対する対価なのか、誰がこんな安月給で働くのかという仕事が多すぎるんじゃないか、そんなことを考えていた。
私が先日失恋した相手は、「この労働に対してこれだけしか支払われないのはおかしい」とよく問題になっている職業で日々闘っていた。その人は、「稼ごうと思えば自分の能力的にもっと稼げる仕事はたくさんあると思う。それでもこの仕事がやりたい。」と話していた。
本当にそうだと思う。
そんな人たちの善意で成り立っている職業があまりに多すぎる。
そのしわ寄せが今色んな所に来ている。
私は、前職で心のコップに水があふれてしまったことがある。それで仕事を辞めて転職した。
本当に余裕がなくなると、作中のエレナや山崎佑くらい、仕事のことだけ考えるようになってしまう。彼らの元々の性質もあるかもしれないが、頭の中に余白がないことの恐ろしさは、少しだけ分かる。
他のことが何も考えられなくなるのだ。息が苦しくなり、脈が速くなり、絶望する。
そんな日々を続けていたのだとしたら、コップの水があふれるだけじゃなく、コップが割れてしまうかもしれない。
そんな彼らは、どうすれば良かったのだろうか。
私は、自分のコップの水を減らす手段が最近少なくなっていると感じている。社会人になって数年経ち、以前より友人と会う機会も減った。みんな環境が変わっていく。
映画を見たり、運動したり、温泉に入ったり、一人でコップの水を減らす方法を持ってはいるが、それじゃ足りないくらい最近コップの水が溜まりやすい。
小さい頃から自分の気持ちを伝えることが極度に苦手だった。近所に子どもがいない一人っ子で核家族。いとこもいない。
過干渉で追い詰められたようにヒステリックな母親、無干渉な父親、私にとって幼少期の家庭が一番つらかったかもしれない。
欲しいものを伝えても却下されるし、無理矢理習い事を始めさせられ、辞めたいと伝えても「〇年生までは続けなさい」と言われる。
「自分の気持ちを伝えることに価値がないし、意味がないのだ。
ただ目の前の状況を受け入れてやり過ごすしかない」
と思った経験が、多すぎたのだと思う。人格形成に多大な影響を与える時期に。
母親に人間関係や祖母の介護等で相談されることはあっても、私から親に相談をしたことは一度もない。会話の中で、話題がないから別にどうでもいい事柄を相談したフリをして時間をつぶしたことがあるくらいだ。
こうやって自分の生い立ちを話すことで、「ああだから仕方ないのか」と安心する。ただ、これではだめだと最近やっと気づくことができた。
どんな環境で育ったとしても、今の人生を選んだのは私であり、これからの自分を作るのは今の私だ。選択は私がしている。
人に気持ちを伝えて相談することが極度に苦手。どうしてそうなったのかを考えるより、どうすれば伝えられるようになるかを考えたい。
だからnoteやpodcastsで、自分の気持ちを伝えるリハビリをしている。
そうやって前を向く努力をし続けていきたい。
最後の一滴が降り注がれる前に、コップの水を減らし続けていけるように。