小さい頃の世界には絶対がたくさんあった。 帰る家、親、学校、親戚、 みんな絶対なくならないし、ずっとあると思っていた。 大人になった今、私は絶対を求めている。 親も家も学校も何もかも絶対じゃなかった。 いつだって宙ぶらりんになれる。 それが初めは嬉しかったのに、今はとても怖い。 何か絶対的なものが欲しい。 そりゃあ宗教も神も必要になるよな、と思う。 私はその絶対を、誰かに担ってもらいたいと考えていた。 特に、恋人にその役割を求めようとしているんだと、最近ようやく気づい
付き合い始めた人に別れを告げられた。 「色々考えて付き合うの違うと思った。何かが嫌なわけじゃないけど、直感的に違うと思った」 その人は、初めて話した時と同じ、論理的でハキハキした喋り方をしていた。 会う度に、柔らかい部分をさらけ出してくれたその人。 「ああ、こういう一面があるのか。素敵だな、もっと知りたいな」 と思えた。 「今好きかと言われると正直わからない。でも色々素敵なところがあって、きっと好きになれると思う。それでも良ければ、よろしくお願いします。」 と告白を受け
チェンソーマンに「お利口さんの悪魔」が出てきたらかなり強い気がするし、真っ先にチェンソーマンに食べて欲しい。 世界からお利口さんが無くなりますように。
人間は必要な状況になると必要な能力を獲得する。 という考えを私は持っている。 例えば犯罪を犯す人は、犯罪を犯さざるを得ない状況で生きてきた人だし、賢い人は賢くならざるを得ない状況で生きてきた人だし、排他的な人は排他的にならざるを得ない状況で生きてきた人だと思う。 私は、小さい頃にお利口さんとよく言われた。 お利口さんとは、親にとって扱いやすいことを表す言葉である。 なぜそうなったかというと、親にとって扱いやすく居ざるを得ない状況で生きてきたからだ。 「あなたはお利口さんだ
いつからかマイナスを0に戻すために生きていたように思う。 人よりできないから人並みになろうとしたり、落ち込んだ気持ちを平常に戻すために休日を過ごしたり、そんな日々だ。 昔はもう少し前向きに生きていたんじゃないか。 そう思い返してみると何故だか涙が出そうになった。 少しずつ前向きになりたい。 マイナスを0にするためではなく、 「楽しそうだから」「やってみたいから」 「面白そうだから」 そんな理由で生きていきたい。 今日は少し早めに帰って積読を消化しようと思う。 面白そ
久しぶりに恋人ができた。 盛り上がるというより、落ち着く、という感覚を持てる相手だ。 感情の隆起が平らに、フラットになる感覚がある。 私が今までお付き合いをしたり、恋愛感情を抱いてきた相手は、どちらかというと恋愛体質な人が多かった。 その人は正反対で、恋愛体質とは程遠い。それどころか好きが何かが良く分からないらしい。 過去付き合っていた人もいるそうだが、そのときは恩義と依存で付き合っていて、深く傷ついてしまったそうだ。 私と付き合うことを決めてくれたのは、落ち着くし、
Xを見ていると知らない誰かが知らない誰かに怒っている。 いや、怒っているパフォーマンスをしている。 私は、スマホでSNSを見ると時間を溶かしてしまうので、基本的にPCで見るようにしているのだが、最近いい意味でSNSと距離を置くことができていると思う。 たまに見て友達がこんなこと呟いてるな~とか、ここ行ったんだ素敵だな~とか、その程度で良い。 スマホでSNSを見ると、何かに取り憑かれたように情報を追い続けてしまう。 気付くと体の中のリズムが早くなり、なんだか不快な気分、とい
秋口、冷えた朝に思い出す情景がある。 学生時代に付き合っていた恋人と散歩をし、学祭の準備をする場面。 たくさんの秋があったはずなのに、その光景ばかり思い出す。 当時学祭で使った「Seasons of Love」という曲が脳内で流れる。 もう戻れない場面を反芻して、今を悲観する。やめなければいけない。 季節は巡って秋を重ねていく。これから減りゆく秋をかみしめ、美しいものを美しいと思っていたい。 ゆっくり進んで欲しいと願える時が在り続けますように。
神社には鏡が置いてある。 理由は、鏡で自分自身を映し出すだとか、太陽を表すだとか、そんなところらしい。 世界に神がいると仮定する。 今自分が体感できる世界で神に最も近いのは、生きている自分自身だと思う。 起こす行動や思い描くこと、振る舞い、言葉、全てが自分にだけは筒抜けであるからだ。 どんなに見て見ぬふりをしようとしても、自分は必ず自分を知覚している。神は見ている。 だから、生きる態度を正しくしなければいけないと思う。 どうして自分に自信が持てない理由をよく考えている
メンタルが落ち込むと、何かの行動を起こす。回復することもあるが、悪化することもある。 ただ、回復ガチャを回すことは辞めない。 友人と会ったり、ドライブしたり、走ったり、映画を見たり、温泉に行く。 あたりが出るまで弾き続ける。 そういうことができる自分は強いと思う。ずっと続けたい。
映画「ラストマイル」を見た。 脚本が野木亜紀子さんであること、MIU404、アンナチュラルのシェアードユニバース作品であること、で話題になっていた本作を見て、 みんな心のコップの水がギリギリなんだなと思った。 心のコップに水がたまらないようにするにはどうすればいいかといつも考えている。特に、野木亜紀子さんの脚本作品では、そういう状況にある人々が頻繁に描かれているように思う。 MIU404、アンナチュラル、逃げるは恥だが役に立つ、獣になれない私たち これらの作品が私は大好き
失恋して10日ほどたった。 久しぶりに胸の苦しさが和らいだ。 仕事に久しぶりに集中できた気がするし、このまま落ち着くといいと思う。 でも同時に、その人のことや記憶が薄れてしまうこと、自分の中で相対的に小さくなっていつかは消えたようになってしまうことがすごく寂しい。 胸が苦しいことでしか繋がっている実感を得られないのかもしれない。 そう考えているうちに胸が苦しくなった。 それでどこか安心する自分がいた。 明日も少しだけ胸が苦しくなりますように。
自分の心が死にそうな時期が4年半ほど続いて、最近ようやく落ち着いた気がしている。 そうなった原因は多々あるが、落ち込む出来事が続いた後コロナ禍に入ったことが決定打となり、こういう精神状態になった。 具体的に精神的な病になったわけではない。ただ、光に当たるのが辛い日や、意味もなく動機が止まらない日、息が苦しい日がたくさんあった。 そんな4年半だった。 20代前半の人生にとって大事な時期を、そんな風に過ごしてしまって後悔しているが、もうどうやっても帰ってこない。 ただ一方で
動いていないと失恋のことを思い出してしまう。 避けられない。 「ネガティブを避けるのは没頭」(意訳)のようなことをオードリーの若林さんが言っていた。何か辛いことを考えてしまう時、この言葉を思い出すようにしている。 だから、一日中何かに没頭するようにしている。 仕事、趣味、家事、とにかく止まらないように動く。 でもどうやったってネガティブに追いつかれる時間はきて、ネガティブに包まれる。ネガティブに陥る。 これが本当につらいが、動き始めるしか避け方が分からない。 このイ
失恋して自分を見つめなおし、少しずつ行動をしている。 まず、自分の声で話すことを始めてみた。 自分の素直な気持ちを自分の声で吐き出せる場が欲しかったのだ。 文字で自分の気持ちを書くことは自分の気持ちを整理するのに役立つ。 ただ、自分の気持ちをひたすら吐き出すには、声の方がよりたくさん出てくるのだ。 自分の気持ちを話していると、なんだか気付いていない気持ちが溢れてくる。 気付かないフリをしていたことが溢れてくる。 少しずつ気づいて、認識して、改善する。 それしかできるこ
この方のおっしゃってることがすごくわかるなと思ってしまった。 世界からその時の記憶がなくなってしまうのってすごく悲しいことで、自分以外にその記憶を持ってる人はいない。 自分が忘れたら世界から記憶がなくなってしまうのに、忘れてしまいたい。 きっととてもつらかっただろうと思う。 私は、どんなことやものに対しても、それが世界に合ったことを誰も知らなくなるのが辛い。 人との記憶もそうだし、履き古したジーパンや、古くなった家具だって、また思い出したいと思う。 色んなことに執着をし