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人生の大晦日 by. 木森 林林
『大晦日』
日本の暦は古くから太陽太陰暦として
時代により数え方は様々
節目とされる日や祝日
古くは “祭日” として各地で多くの行事が行われる
中でも大晦日は "禊祓い" としての風習があるが
この数年、今年は特に
あらゆる側面で身の周りを見渡し
本来の内側の記憶と対面するような一年になった
それは自ら望んだのか
「その動きが必要だ」とナニカに導かれたのか
未だに半信半疑なほどに怒涛の一年を駆け抜けた
自分を赦し相手を赦す
あらゆるモノから各々が解放へと進み求める感覚に
ただ呼応するカタチで身を委ねた
それらの真意は
個々として新たに多くと繋がり
さらに良いカタチへと循環することを信じた動き
この動機は昔も今も変わらない
それがワタシなのかもしれない
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- 人生の大晦日 -
今年のワタシは昔と違っていた。
タイトルだけを見るととても重い印象だが、
決してネガティブな意味ではない。
それは大晦日や元旦
節分や二十四節気のような祭日のように、
これまでの人生の大晦日と言えるほどに
“凝縮された振り返り” をこの一年で行い、
ワタシにとっては大きな転換期となった。
2019〜2020年コロナ禍前に
ワタシは様々な事象により身を置く環境が大きく変わり、
その後に世の中全体の流れや
社会の在り方が変化して行った。
本来身近だったモノから距離を置き
馴染みのないモノが身近になる。
そんな入れ替わりもある中で、
ワタシは変わらず実践と体感を主軸に取捨選択を繰り返し
これまでと変わらず "俯瞰" でモノゴトを見続けた。
それらを経て一人一人に “何が必要か” は
各々の抱えているモノによるのだろう。
ただどういったモノであれ
そのモノと向き合う『覚悟』が必要であり
その覚悟がようやく備わった一年なのかもしれない。
『覚悟』と言っても一概に言えるモノではないが、
今の身の周りを見渡した時に
抱える仕事、没頭するナニカ、共に歩む存在。
これら全ては
そもそもワタシにとってどういった存在なのか。
全てに対して
何のために、誰のために、何が目的で、といった
生きる目的や生きている意味すらも考えさせる一年。
そういう示しを受け取り、
ワタシの中でそれらの区切りとなった1年だった。
- 慣れ親しんだ違和感 -
ワタシはこれまでの記事のトップ画像のように、
“日々の違和感” に対して自問自答する日々を送っている。
前述で記したように、
身近な存在やワタシの出生にまでこの数年言及し、
あらゆる表と裏を俯瞰し続けた。
その姿勢は本来行くべき道を逆行する時もあり
そうした軌跡は多くの危機的状況を招いた。
ただそこで見えた景色や得られたモノは
言語化するには難しく、実際に体現しなければ得られないコトもこれまでの経験で理解している。
時に共にする者からは
そうしたワタシの生き方を面白がられ
中には危険視されるコトもあったように思う。
だがこうした経験を経て
慣れ親しんだモノに対しての疑問は本来は持つべきものではないのかもしれない。
それはワタシの主観では
『信用しない』『疑いの目を持つ』といった
浅はかな視点では無いにも関わらず、
世間的にはそう思われても仕方がないからだ。
ただ慣れ親しむ中から多くの枝葉が存在し
そこから新たな創造が生まれるのだろうが、
それは「慣れ親しんだ中の創造」であり
無意識の中で視野が狭くなってしまう。
この現代社会のインターネットが張り巡らされた広大の世界があるにも関わらず、
"広い世界で生きている錯覚" に陥るコトも容易に起こり得るとワタシは考えている。
- SNS国アルゴリズム県の住人 -
今年は様々な変化や
大きな出来事も例年に増して起こったように思う。
それらの情報はあらゆるメディアを経由し、
多くのSNSから発信、拡散され多くの混乱も起きた。
ワタシは20代前半に日本初のSNSサービスとして
「mixi」が流行した世代。
少しの期間だがワタシもアカウントを作成し、
新しいモノへの関心や興味はありながらもあまり活用することはなく一定期間が経ち、
その後、身の回りの繋がりや価値観が目まぐるしく変化していったことを今でも鮮明に覚えている。
その後FacebookやTwitterなども普及し、
ワタシは当時から表立って活発に動くというよりは裏方に専念していた時期でもあり、
LINEすらも皆が当たり前に活用する中で使用しておらず
約10年ほどSNSとは一定の距離を置いていた。
これらの行動は、SNSに対して批判的な意図ではなく
あくまでワタシの価値観や生き方に「必要がない」と考えていたまでで、
多くの人が利用する意図として『繋がりを目的』とした手段ではワタシには物足りなさを感じていた。
そんな過去を記しているのも、
今年は『mixi2』という「mixi」が新たに現代版SNSとして再始動したことも記憶に新しい。
こうした動きや変化も、
ワタシにはちょうどナニカが一周した様な感覚になり、
今ではTwitterがXになり、LINEやmixiが人と人を繋ぐためのSNSとして活用され、人間の数程のアプリやコンテンツに溢れている。
その中で主要とされるSNSは社会的影響力も増した事で、多くの制限や規制もかかり、
一つの国のような形相で各々のアルゴリズムで生きる世の中になった。
- 新たな船出 -
こうした動きや変化も
偶然ワタシの生き方や当時の状況として距離を取り、
"俯瞰" で見ていたコトで冷静にモノゴトを判断している。
この “今” ワタシが動き出したタイミングは、
これまでのSNSの世界で長く生きていた人からすれば遅く、既に距離を置き出している人も多くいる中で
身近な人からも懐疑的に思われても仕方がないのだろう。
ただワタシは、
多くの人が動き出したタイミングがその “個々のタイミング“ であっただけであり、
『ワタシのタイミングは今』というだけに過ぎない。
それは一人一人が生きる上で
その時々に「何を求め、何が最良か」という判断は
皆それぞれであり、
『覚悟』について記した前述のように、
SNSやこのような執筆をする動きに対する運用の「目的」や「時期」が今年になりようやく定まっただけである。
決してワタシは今後も
“SNS国のアルゴリズム県の住人” ではなく、
「一人の人間として」新たな船出を迎える一年になったことだけはここに記しておきたい。
- さいごに -
ここまで見てくださりありがとうございます。
今年の12月から毎日投稿を始め、
まだまだ自身の活動としては動き出したばかりですが、
改めてワタシの記事を見てくださっている方へ感謝します。
この数年で感じていた、
人間(自分自身含む)や社会について感じていた違和感が、
図形や数字、目には見えない事象に対してのフェーズへと変化している様にワタシは昨今の形相を捉えており、
中々こうした内容を言語化するには
多くの憶測や意見がある世界と認識しています。
2025年からはこうした活字だけではなく、
木森林林の根源である『SHAPES OF LIFE』の創作活動を通して、読者の方々にも有益な情報やメッセージになるモノを心がけ発信していきます。
引き続き2025年もよろしくお願いいたします。
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木森 林林 (RINRIN KOMORI)