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独特な徳 by. 木森 林林
『独特』
独特なモノという表現は
どこか個性的で
そのモノが発する風格や気品すら感じる場合がある
"異端" とされるモノにも近いが
決してナニカに反発することなく存在する
その独特な様相というのは魅力的で
惹きつけるモノがあり抽象的な存在である孤独な側面が起因しているのか
他のモノとは一線を引く風格があり
その "個" が持つ個性が発揮された時は
あらゆる 「徳」 をも引き寄せる
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- 独特な個性 -
個性というモノは、
決して均等に整ったモノではなく唯一無二だ。
これは対象者に対しての視点次第で
どうにでも捉えるコトはできるが、
その中でも異質な様相の存在が
「独特な個性」として表現される。
ワタシは多くの場面でその部類の扱いを受けてきたが、
受け取る人と扱う側のニュアンスや環境次第では
“孤立” を招くこともある。
実際にワタシはどちらも経験済みだ。
昨今ではハラスメントや上下関係の在り方が見直される中で、"独特" という表現はより多様化しているように思う。
特にクリエイティブな領域ではそうした個性は遺憾無く発揮され、重宝される場面も多いが
いざ一般的な集団で行動する場合にはその様相は良くも悪くも機能するコトがある。
だがある程度の期間 "独特" な分類で扱われると、
本来の個性からさらに "独特な視点" が生まれ
より一般的な存在から逸脱した価値観を習得してしまうのも、この類の宿命なのかもしれない。
だが当事者と観測者の関係性や、
各々を尊重し互いの個性を理解し合えば
クリエティブな領域などに関わらず、多くの場面でその個性はありのまま活かすことができるように思う。
- 独特な宿命 -
この “独特な個性” を持つ存在も、
人間社会を生きる上では
一般的な価値観を元にした集団の意見や動向を伺わなければならない事は多分にある。
それは特殊な環境に身を置いたとしても、
多くの循環で成り立つこの世界ではどうしても避けて通ることができない。
今ワタシはこの視点で見るコトができているが、
過去には自らの個性を疑い、悩ませれた経験もある。
実際にこのような扱いを受けることは
環境次第では辛い場合もあるが、
まず自身の個性がどのような特性を持ち、
周りにどのような影響を与えているのかは、
早い段階で自らの個性と向き合う方がいいだろう。
前述で記したように、
“孤立” を招くことは同様の価値観が集まった集団の中で起きるように思うが
実際にはSNSや現在のインターネット社会において
「直接繋がっていない情報や環境」に対しても自身の内側の個性と繋がっていなければ、
無意識の中で孤立しているように感じてしまう事もある。
これは人間の習性として個人の生活に関係がない環境や情報を意識してしまう特性から感じてしまう内面的なものだ。
もし『自分は他者とは異なる』といった感覚や、
実際の経験から感じることがるならば、
それはアナタが “独特な個性” を内包しており、
決して一人ではなく同じように悩み、それらを克服し
新たな行動や挑戦を模索している存在がいる事は忘れないでいてほしい。
- 独特な徳 -
なぜワタシが読者にこのような思いを訴えかけているのか。
それはワタシ自身が前述までに記した同様の感覚を持ちながらも、今生きている時間や過去の経験をどのように活用するか考え、
少しづつ自ら望む方向へと前進しているからだろう。
これは今後の理想として描く、
共感していただくフォロワーや活動を維持するための収益も得ながら “SHAPES OF LIFE” の活動をより明確に具現化するための一つに過ぎず、
未だこれらの理想には長い道のりかもしれないが、
日々こうして記事にするコトで多くの学びを得ている。
そしてまだまだ僅かな結果かもしれないが、
リアクションや閲覧していただく方々には感謝している。
この微細な循環ですら既にワタシは日々を前向きに考え、
こうして記事を書けている時点で “徳” を頂いているわけだ。
おそらく何も行動せず、
過去の結果や周りとの比較などに執着し
日々の活動に意義を感じることができなければ、
混沌とした毎日を送っていたかもしれない。
“独特” という漢字には
『独り』という表現が含まれている。
これは孤独な中から生まれる独自のモノで、
限りなく内側と向き合った先に得られる感性なのかもしれない。
さらにその先に得られる “徳” もまた
内側から外側へと段階的に日常へ大きく恩恵を与えていくモノなのかもしれない。
- さいごに -
ここまで見てくださりありがとうございます。
今回は『独特』と表現されるモノに対して抱く感情や、
感じるモノから、
ワタシ自身が経験した他者からの扱いを交え
“独特な視点” で記事にしました。
日常で人に対して使う場合は「良い意味で」という前置きを踏まえ使用されることもありますが、
その当事者と観測者の関係に『共感』という繋がりは薄く感じる場合があります。
これは受取手の解釈次第ですが、
ワタシはどちらもネガティブに考える必要はないと考えます。
既に他者からそうした視点で思われたことは、
理解しようと向き合ってくれたからこその結論であり、
そこから互いに理解を深めればより独特な変化や新たな創造が生まれる可能性を秘めていると感じます。
人に対して『独特』と表現する場合、
一人一人の個性が唯一無二なのであれば
本質的には皆が『独特な存在』なのかもしれません。
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木森 林林(RINRIN KOMORI)