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干支の効力 by. 木森 林林

『乙巳(きのとみ)』
それは2025年の干支である

乙(きのと)とは
十干の2番目で「木」や「草花」の要素を持ち
草木がしなやかに伸び横へと広がっていく意味を持つ

巳(み・へび)は神様の使いとして
脱皮を繰り返すことから
不老不死のシンボルともされている

それらの由来から乙巳の年は
「再生や変化を繰り返しながら発展していく」年とされる

“木” の要素を持つワタシは
この流れすらも『自然』と捉え
既に脱皮を控えているのかもしれない

photo : 蛇 (Rinirn Komori)


- 干支の効力 -


干支は東洋の伝承で様々な数え方や教えがあるが、
特に日本では “動物の特徴からの解釈” は多いように思う。

こうした伝承すらも
断片的な解釈で個人が内面的により良く捉え、

前向きに生きるためのきっかけになれば
もはやそれで良いのかもしれない。

冒頭から少し投げやりな始まりになってしまったが、
これがワタシの結論や解釈というわけではない。

東洋文化と西洋文化が混同する現代日本で、
どちらの伝承も多くの書籍や情報が散見している。

歴史ある書物や口伝なども各地方には存在し、

自分にとってナニが正しく信じられるかは
限りなく分散され尽くしているように思う。

ただワタシは『干支』という概念に関しては
月星座や血液型といった多くの分類化する指標の中で、

長い期間を同じ時間軸で共存する概念と解釈している。

それは地域や個人といった枠組み以上に、
同じその年、時代を生きるモノとして
「多くの人が同じスケールで共にする時間軸」ということ。

干支そのものの解釈が様々であれ、
同じ時間軸を共にする “対象” としては
それなりの効力もあるだろう。


- 辰から巳へ -


昨年2024年は辰年で象徴としては『龍』で表現される。
そして今年は巳年で象徴は『蛇』だ。

一見、"龍"は空想の世界の存在だが、
「蛇が進化し龍へと変化する」ように想像することもできるが、対象物としての干支は違う。

『龍の化身が蛇』であり
蛇として具現化し現実世界へ現れた進化の過程を表している。

そうした安易な想像とは異なる事こそが
主軸は対象物= “現世の動物” ではないことを物語っている。

蛇は実在する動物の中では手足が無く、
特異な形状で一部の人は恐れる存在でもある。

冒頭で記した脱皮をするさまや
小動物を丸呑みにする様子は印象的で、

その反面
白蛇の優美な姿、個体により美しい模様、愛くるしい表情をみせる一面もある。

古くから神格化もされ、今でもその云われは神仏の対象として多くの地域でも崇拝されている。

そうした視点で見ると、
十二支全体の中でも『龍と蛇』は特異な対象であり、

これまでも繰り返されている風習ではあるが
2024年から2025年もまた特別な移り変わりを見せるのではないか。


- 龍と蛇と水 -


“辰と巳” の干支から
“龍と蛇” についての話になったが、

さらに “龍と蛇” を深く掘り下げると
共通しているモノは『水への信仰』である。

水神として祀られる “龍” は、神社の手水舎などでも見られるように古くから水の出口として用いられ、

現代日本の一般家庭では「蛇口」として言われるように
水の恩恵をいただく存在として身近に “龍と蛇” は存在する。

photo : 出雲大神宮 手水舎 (Rinrin Komori)

水は古来から稲作や人間が食を育む上で大切な恵みであり、
その恩恵は今でも変わりはない。

山の湧水や川、海から、
物理法則を用いて人間が必要とするカタチで運用するには
現代の視点でも多くの労力や自然の働きが必要であり、
とても貴重な存在だっただろう。

現代ではそうした古くからの叡智が
"適正に自然本意に継承されているか" と言えば
多くの進化発展を遂げる中で一概には言えない。

ただこうして多くの現代の恩恵を受けながらも、
様々な失敗や経験をする事で "本来の恩恵" とはナニカ

そうした気付きや学びを得るためにも、
"龍と蛇" という対象物としての存在を通して
この現代に何が必要で何が欠けているのか。

それも同じ時間軸を生きる枠組み= "干支" の中で
この2025年は今一度見直していきたい。


- さいごに -


ここまで見てくださりありがとうございます。

今年の干支は巳年ということで、
ワタシは干支や星などには昔から関心があり
今回は記事にしました。

あまり深く掘り下げると諸説ある分野でもあり、
多くの逸話や伝承があるため明言は避けますが、

全てに共通していることはその逸話や伝承、習わしが
生まれた時代背景と密接に繋がっていること。

またその土地の風土すらも調べると、
その都度人間が衣食住を育み生きる上で必要であった法則や起源に辿り着きます。

ワタシは『創造』という視点に重きを置き活動をしていますが、それは「現代社会の中で新たに生みだすコト」という表面的な意味合いではなく、

常に求めるモノの対象物にはその源流が存在し、

現代社会でこれまで生まれてきたモノの中に
“本質的に見落とされてきたモノ” も少なからずある様に思います。

そうしたこぼれ落ちたモノの中に、
創造の起源がある様にワタシは感じています。

これは「物質的なナニカ」だけでなく、
人や動植物といった生命の部分でも見落とされた存在は多くあるよう思います。

それらが今後多くの人から掬い上げられ、
共存するために本来必要な在り方で機能する時代をワタシは望んでいます。

photo : 布引の滝 (Rinrin Komori)


木森 林林 (RINRIN KOMORI)








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