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ぼくが若い人たちに残せること

ぼくは構造物の診断の仕事をしている。
古くなって傷んだ構造物が見つかると、その現場に出かけて行って、傷んだ原因やあとどれくらい使えるのかなどいろいろな調査をする。

ある日のこと、ぼくはとある構造物に変状が発生しているとの情報を聞き、その現場へと急行した。

勉強を兼ねて若い社員がぼくに同行することになった。

現地調査を一通り行って、レポートの作成に使う写真を撮り終えて、会社に戻る車の中でのことだった。

「どうすればそんな風に難しい変状を診断できるようになるんですか」
「そりゃ、勉強しないとダメだよ。ぼくも若い頃は一生懸命勉強したよ」
「でも今の会社って資格取得のために勉強しろって言うのですが、そんな勉強をしたって現場で役に立つことなんて、そんなにないと思うんです」
「無駄な勉強はないさ。でも君の言っていることは間違っていない」
「それならどうすればいいですか」
「経験だな。経験して学ぶしかない」
「それなら時間がかかりますねぇ」 
「この仕事はいろんな構造物を見て学ぶしかない。同じ変状なんて二つとないからね。現場を一つ一つ見て学ぶんだ。回り道のようだがそれが一番近道だ」
「わかりました。とにかく勉強します」

若い社員は納得してくれた。
遠い未来に得られる知識を信じてくれた。

実はこんな話を若い人にしたのは初めてだった。
しなかったのではない。
聞かれなかっただけだ。

ぼくは実直に答えただけだった。
若い人は意外にもすんなり受け入れてくれた。

経験。漠然とした測り得ないもの。
おそらく彼が見たぼくの姿が、得体の知れないものを具現化させ、受け入れさせたのだろう。

ぼくは思った。
これまで若い人たちに何を伝えてきたのだろうか。
若い人にそんな話をしても、どうせ聞く耳なんか持ってくれないんだろうなって思っていたが、それは大きな間違いだった。

もっと伝えていこう。
遠慮しないで。
彼らの未来につながるなら、嫌がられてもいい。
もっと話をしよう。

小説を読んでいただきありがとうございます。鈴々堂プロジェクトに興味を持ってサポートいただけましたらうれしいです。夫婦で夢をかなえる一歩にしたいです。よろしくお願いします。