【連載小説】小五郎は逃げない 第13話
生きてこそ 3/4
「まだ口を割らんのか」
「はい、歳さん。なかなか、肝の据わった女ですよ」
「感心している場合か、総司」
沖田は幾松に対して尋問を続けたが、桂のことについて一切聞き出せないでいた。近藤から、女性を相手に拷問を禁止されていたので、土方のいらいらは募る一方だった。
「近藤さんに黙って、二、三発殴れば、吐くんじゃないですか」
「新選組では上からの命令は絶対なのはおまえも知っているだろ。おまえ、近藤さんにばれたら間違いなく切腹だぞ。切腹を賭けて、それ、やってみるか」
「はい、やめておきます」
土方の突き刺すような冷たい目線に、沖田から笑顔が消えた。
幾松への尋問は昨晩から続けられ、一夜が明けて朝を迎えた。尋問する新選組の隊士は、次々と入れ替わるのだが、幾松は一晩中眠ることを許されず、食事すら与えてもらえなかった。幾松はひたすら睡魔と戦い、空腹に耐え続けた。意識が朦朧としてくると、新選組隊士の怒鳴り声が耳に響く。これが何日も続くかと思うと絶望感しか沸いてこない。しかし、桂のために耐えた。
尋問については、まず幾松が桂のことを知っているのかどうか、そこを明らかにしなければ先へ進めない。聞き出したいことは山ほどある。桂の潜伏しそうな場所、会津藩士を斬ったのは桂なのか、討幕活動はだれと通じているのか、攘夷派の武士たちと何を企んでいるのか・・・。しかし、幾松が桂と深い関係にあるのか、そもそも幾松の置屋に桂がいたのか、そんな取っ掛かりのところから、聞き出すことができないでいた。男が相手なら、目を覆うような拷問の末に、どんな無骨者でもあっという間に口を割らせてしまう土方らにとっては、女性は少し勝手が違った。このような回りくどい尋問を続けている間に、桂が逃亡してしまっては元も子もない。逃げの小五郎は自分の女を置き去りにすることなど気にも留めないだろう。あながち土方らは、そう思っていた。
桂と幾松の出会いは、時をさかのぼり二年ほど前のことになる。攘夷論に目覚めた頃の桂は、京を起点として吉田松陰の門下生である久坂玄瑞、伊藤俊輔(後の伊藤博文)らと江戸幕府を転覆させるべく、様々な工作活動を始めていた。久坂や伊藤たちは、幕府側との全面戦争も厭わない過激派と言ってもよかった。争いごとを好まない桂とは、主張がことごとく異なった。
久坂も伊藤もどちらとも子供のころから札付きの悪童で名が通っていた。彼らの過激さは、大人になっても変わらなかった。京にいた頃の伊藤は、桂が制止するのも聞かず反攘夷派の人間の暗殺に加担していた。江戸では高杉らのイギリス公使館の焼き討ちにも参加していた。久坂に至っては、幕府軍を相手に蛤御門の変という戦争を引き起こし、敗北の末に自害している。殺し合いでは何も解決しないと唱える桂は、彼らの過激な行動を制止しつつ、粛々と攘夷活動の普及のために、あちこち走り回っていた。久坂や伊藤と桂は何度か衝突し、桂のことを疎ましく思うこともあったが、なぜか喧嘩別れをするようなことはなかった。それには、武士も町民も農民も分け隔てなく教育の場を与え、一人一人の主張を重んじる吉田松陰の教えが影響していたことは言うまでもない。しかし、頑固で要領が悪く、それでいて仲間に馬鹿にされようとも大切にする、そんな桂のことがなぜか憎む気になれなかった。
そんな彼らも、夜になると長州では見ることのない華やかな京の歓楽街に、夜な夜な繰り出した。桂は酒も女もあまり興味がなかったが、女好きの伊藤にいつも突き合わされた。そんな時に、桂と幾松は出会ったのである。一目惚れしたのは桂の方だった。それからと言うもの、桂は幾松がいる置屋に頻繁に通うようになった。その頃は、幾松を贔屓にする他の客もいたが、桂はそんなことはお構いなく幾松に熱を上げた。何度となくその置屋に通ううちに、建物の構造を隅から隅まで知り尽くしてしまい、そのお陰で池田屋襲撃の後、だれにも気づかれずに身を隠すことができたのは後日談である。桂が熱を上げれば上げるほど、幾松を贔屓にしていた客もさらに熱を上げ、両者は互いに張り合った。何事においても闘争することを嫌う桂は、その客に対して詰め寄るようなことは一切しなかった。その客は京でも指折りの富豪であり、置屋に通うことに金銭的な苦労は何もなかったが。金のない桂は資金が底を突き始め、資金集めに奔走するようになった。それを間近で見ていて哀れに思った久坂と伊藤は、桂に迫った。
「桂さん、どうしてそこまで惚れた女を、腕尽くで奪い取ろうとしないのだ」
「相手も幾松のことを本気で愛している。ましてや町民だ。武士が町民から武力で女を奪い取るなど、公平なことではない。私を取るか、その客を取るかは幾松の意思に従うまでだ」
桂はそう言って、彼らの言う事を聞こうとはしなかった。そんな桂の態度に短気な久坂たちは業を煮やした。久坂と伊藤はある日桂に黙って置屋に押しかけ、その客を刀で脅して、幾松から身を引くように脅したのである。命からがら置屋から逃げ出したその客は、もう二度と幾松のところに来ることはなかった。何も知らない桂と幾松は、そのお陰で親密な仲になっていった。
「小五郎、その額の傷はなんじゃき」
「これか、これは子供の頃に船の魯で殴られた傷跡だ」
桂には額に傷がある。それは桂が子供の頃に久坂ら友達の悪戯に付き合わされ、近くの川の中に潜って、行き交う小舟に近づいては、船頭ごと引っくり返す悪行を、嫌々ながら手伝わされた。何度かやっているうちに、転覆させることに失敗し、久坂らは一斉に川の中に潜って逃げたが、桂だけが逃げ遅れてしまった。桂も川の中に潜って難を逃れようとしたが、水面から顔を出したところを船頭に狙われて、魯で嫌と言うほど頭を殴られた。岸に上がった久坂や伊藤たちは、その様子を見て腹を抱えて笑っていた。桂の額にはその時の傷跡が残っていた。
「小五郎はまっことお人好しやき」
以蔵が茶化した。
「いや、そんなことはない」
桂は頑として認めない。
「ところで、小五郎よ。おまさんはなんで攘夷とか言うもんに、ほがに一生懸命になるがやき」
「新しい日本が見たいのだ。いや、皆に見せいたのだ」
「さらの日本ながぁ。一体どんな国ができあがるぜよ。美味いもん、腹いっぱい食えるがやき」
「西洋では牛の肉を焼いて食べている。一度食べたことがあるが、あれは美味かった」
「ほー、ほがな食いもんがあるがかぇ。わしも一度食べてみたいもんやき」
桂が珍しく笑いながら言うので、以蔵もつられて笑顔になった。
「それに夜になると灯る街灯と言うものがあるし、服は羽織袴と違って、着易くて動きやすい。銃も見た。ゲベール銃と言って、一度に何発も弾を発射できる。あのような銃がたくさん造ることができるようになれば、日本での戦争のやり方も、随分変わってしまうだろう。いずれ刀が必要なくなる時代が来る」
「ほー、よその国はえらく進んどるんじゃき。ほいたら、わしのような剣でしか戦えんもんは、いらなくなってしまうっちゅうことかえ。ほりゃあ、ちっくと困るぜよ」
「何が困るのだ。戦争で人が死ぬことは確かに良いことではない。しかし、日本を新しい国にして、外国からの侵略に負けない備えをするには、必要なものになる」
「そういうことやないがやき。わしは刀しか使えんきに、刀がのおなったら、わしのやらんならんことが出来んようになるってことぜよ」
「それは暗殺のことか」
「そうじゃき」
「以蔵殿、それはだれのための何のための暗殺なのだ」
「わしにゃ師と仰ぐ人がおるきに。その人が新しい世の中を作ってくれるぜよ。わしはその手伝いをしちゅうがやき。わしにゃ、人を殺めることしかできやーせんが、それでもその人のためならなんちゃーやるし、死ぬこともかまいやせんぜよ」
「師とは武市瑞山殿か」
「おまさんは武市先生のことを知っちゅうがかや」
武市半平太。またの名を武市瑞山と言う。土佐藩の上士の家に育ち、剣術の腕を買われて道場を開き、以蔵もそこに通っていた。卓越した求心力を持つ武市は、この道場の弟子たちとともに土佐勤王党を結成し、その頃活発化していた尊攘攘夷活動に参加するようになった。長州藩の攘夷派とも交流があり、桂だけでなく、久坂や高杉とも情報交換を行っていた。拠点を土佐から京に移した武市は、自分たちの活動の妨げとなる幕府側の役人や政治論者を、以蔵に命じて次々と暗殺していた。しかし、この繰り返された暗殺が尾を引き、土佐藩主・山内容堂の怒りを買った。山内容堂は土佐勤王党を弾圧し始め、党員が暗殺の容疑をかけられて次々に処刑された。以蔵は武市の命により、この弾圧から逃れるために、乞食の姿になって四条大橋の下に身を隠していたのである。
<続く……>
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