論文と小説の執筆は違うようで共通している
仕事柄、学術論文を書くことがある。
論文を作成するに当たって、文字を書くより、データ整理をしたり、データをビジュアル化する時間の方が圧倒的に長い。
データの加工もただ無作為にやっていたら、いくら時間があっても足りない。
データを加工を行う段階で、論文のストーリーは頭の中でほぼ出来上がっていなければならない。
ストーリーの紆余曲折はある。
データが思った通りのものでなければ、そうせざるを得ない。
それも早く決めないと、せっかく手間暇かけてデータを加工した時間が無駄になる。
かと言って、ストーリーはデータを見ながら微調整していくから、どちらかを独断先行させるという訳にはいかない。
いかにデータの内容を的確に把握して、うまく落ちに持ち込めるかどうかがキーポイントになる。
小説と論文を比べてみる。
違うようで似ている。
小説にデータ整理はないが、下調べが必要だ。
下調べをして概要をまず書き出す。
この下調べをしなければ支離滅裂なストーリーになってしまい、書き直しに手間がかかる。
下調べをしてイメージと違っていたらストーリーの修正だ。
論文と違ってストーリーがひっくり返るようなことはない。
しかしなるべくなら修正はしたくない。
修正を繰り返していると、何やら面倒臭くなってきて、それが文章に表れてしまう。
そんな文章なんか読んでいただくに値しない。
やはり下調べをしてしっかりストーリーを作り込んでいくところは、論文執筆に共通している。
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