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【掌編小説】それからの日向食堂

「いらっしゃい!」
今日も吾郎は店を開けていた。

真司が亡くなってから、ほとんど毎日一人で店を開けていた。
お客さんの入りは、真司が現役でやっていた頃とは程遠い。
店が古くなってしまった影響も否めない。

「吾郎ちゃん、たまには休んでるの?」
店にやってきたのは真司の娘・優子だった。
「なんだ、優子ちゃんか」
吾郎は優子の顔を見るなりがっかりした顔になった。
「悪かったわね、私で。ちゃんと注文すればいいんでしょ」
「いや、そう言う意味じゃないよ、ごめん、ごめん」

「お客さん、来ないの?」
優子は吾郎に案内されるまでもなく、カウンターの椅子に腰を下ろした。
「いやー、なかなかオヤジさんみたいにはいかないよ。一人になってからわかったけど、ほんとにオヤジさん偉大さがよくわかるよ」

優子は複雑な心境だった。
吾郎がこんなに頑張っているのに、今も真司の影がこの店に宿っていて、吾郎がその影を払拭できずにもがいている。
吾郎はいつまでもがき続けなければならないのだろうか。

「吾郎ちゃん、お店、やっていけそうなの?」
「うん、なかなか厳しいよ。オヤジさんにも、優子ちゃんにも申し訳ないんだけど、もうそろそろ潮時かなぁって思ってる」
思いもよらない言葉だった。優子は驚きを隠せなかった。

真司が生きていた頃はお客さんが絶えなかった。
吾郎と二人で店の中を走り回るようにして料理を作っていた。
目を閉じると、その光景が思い浮かぶ。

吾郎が苦労していることはわかっていた。
しかし、父が守り続けてきたこの店がなくなってしまうこととは別の話だ。
「おれ、オヤジさんみたいに得を積んできてないから。まぁ、人生そんなに甘くないよ。はっきり言って店はもう火の車なんだ」
「そうなの」

自分に財があれば何とかしたいが、優子の家庭の経済状況ではどうしようもなかった。
それだけに、"もう少し頑張ってみたら"などと無責任なことは言えない。

「そう言えばさぁ、一ヶ月ほど前だったかなぁ。稲本さんの会社の新しい社長さんが突然やってきて、融資してやるからこの店を改装してくれるって言ってきたんだ」
「えー、それでどうしたの?」
「断ったよ」
「何でっ!」

吾郎が他人事のように言うから、優子は大声を上げて驚いてしまった。
「どうして断ったのよ。お店を建て直すチャンスだったじゃない。この店が新しくなったら、お客さんだってやって来るかもしれないじゃない」
優子はこの店がなくならないで済むチャンスを、吾郎が簡単に棒に振ってしまったように思えた。

「オヤジさんなら、その話に乗ったと思う?」
吾郎にそう言われて、優子は言葉を失くした。
言われてみれば、確かにそうだ。
極めた料理をお客さんに提供する、それが真司の信念だった。
店が新しいとかきれいとか、そんなことを気にするような人間ではなかった。

「お客さんが来ないのは、単純明快、おれの料理を食べたい思わないからだよ。店を改修したからって何も変わらない。それにこの汚い店に愛着もあるし」
吾郎は申し入れを断ったことに、一片の悔いもない様子だった。
"この店は吾郎なものだ、吾郎の好きにすればいい、この人にはシンジイズムが体中に浸透している"
優子はそう思わざるえなかった。

「それで、吾郎ちゃんはこれからどうするの」
「あぁ、いろんな店を渡り歩いて修行をしてみたい。それこそ外国とか。ずっとオヤジさんの作った料理を追いかけてきた気がするんだ。だからもっと広い世界を見て、おれの料理が作れるようになったら、またお店を開くよ」
吾郎の目に後悔の色は見えない。
見えるのは、これから自分がどう変わっていくか・・・、希望だけだ。

「吾郎ちゃんの料理ってすごく美味しいのに、何でだめなんだろう」
優子は吾郎が店を切り盛りするようになってから、お客さんの足が遠のいて行った理由がわからなかった。
「おれもわからないんだ。と言うか、なんかわかりかけてるんだけど、すっきりしないんだよな。だからその理由を探しにいくんだ」

その理由がわからない限り、吾郎は本当の自分の料理が作れないと言う。
散々もがいてきたが、この店で真司の面影を感じながら料理を作っている限り、答えは見つけられないと言う。

「だから出ていくの」
「あぁ、そうだ。優子ちゃんには世話になったなぁ。ありがとう」
「お父さん、生きてたらなんて言うかな?」
「喜んで送り出してくれたはずだ」
吾郎には迷いがない。

「いつの日かお店を開いたら教えてね」
「もちろんさ。いつのことになるかわからないけど」
「それでお店の名前はどうするの?」
「決まっている、日向食堂だ」


▼日向食堂本編はこちらから
長いですが、いいお話ですから、ぼちぼち読んでください。


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鈴々堂/rinrin_dou@昭真
小説を読んでいただきありがとうございます。鈴々堂プロジェクトに興味を持ってサポートいただけましたらうれしいです。夫婦で夢をかなえる一歩にしたいです。よろしくお願いします。