生き甲斐を見失いそうなときに読むエッセイ
あと数年で定年退職を迎える。
まさか自分がそうなるとは、思いもしていなかった。
率直に言って虚しい。
まだやれるのに、まだやり残したことがあるのに、そんな感情が心に渦巻く。
自分なりに頑張ってきた自負はある。
なのに切り捨てられるような気分だ。
ぼくの人生自体が、何か定年とともに終わってしまうような錯覚に陥る。
"会社の評価は自分の評価の半分くらいと思えばいい"、そんなフレーズを聞いたことがある。
会社がぼくを評価するなら、定年退職なんてさせないはずだ。
言い換えれば、ぼくはそれまでの人材だったってことだ。
仕事が生き甲斐だったのか?
そう聞かれたら、どうも"はい"とは即答できない。
確かに身を粉にして仕事をしてきた。
しかし会社への愚痴は山ほど言った。
上司と喧嘩をしたこともある。
とても仕事が生き甲斐だったと胸を張っては言えない。
終わりを迎えようとしているから、過去の自分を美化しているだけなのかもしれない。
それでも夢中になって仕事をした時期もある。
それはそれで、会社のことは抜きにして、やり甲斐に満ち溢れていた。
愚痴を言ったり、夢中で仕事をしたり、もうそんなことすら無くなってしまう。
自分に非があるとしても、虚しいものは虚しい。
さて、定年退職してからどう生きようか。
構想など全くない。
新しい生き甲斐なんて、そう簡単に見つかるものじゃない。
でもこの先、死んだように生きることもごめんだ。
一つ言えることは、過去の自分を振り返って、生き甲斐があったと大それたことを言えない生き方をしてきた、だからそれを修正しなければ、また同じことを繰り返すってことだ。
まだ手元には何もないが、本当の生き甲斐を見つけられるなら、これからだ。
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小説を読んでいただきありがとうございます。鈴々堂プロジェクトに興味を持ってサポートいただけましたらうれしいです。夫婦で夢をかなえる一歩にしたいです。よろしくお願いします。