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【連載小説】「八月の歌」第二話

 真司は動かないトラックの助手席の窓越しに、何気なく外を眺めた。海が見える。砂浜で戯れる焼けた肌の女の子たち。それに群がる遊び人風の男たち。バブル景気に沸くこの国では、当たり前の風景になっていた。
「何やってんだろう、ぼくは」
 砂浜を眺めながら、真司は独りつぶやいた。
 
 真司が高校一年生の時に父が死んだ。それからの秋山家の家計は火の車だった。父親が生きていた時は人並みの暮らしをしていたが、大黒柱の収入が途絶えてしまえば、日々食べていくこともままならなかった。母親はパートに出て生計を立てようとしたが、焼け石に水だった。高校、大学を出て、企業に就職してサラリーマンになる、どこにでもあるお決まりの人生を歩む資格を、真司は父親の死をもって剥奪された。何とか高校は卒業したが、大学に行けるような金はどこにもない。真司には就職する選択肢しか残されていなかった。真司の母は、真司を卒業させるために働き続け、激変した生活で心労が蓄積されたのか、その三年後に病死した。
 
 真司は父親の友人が経営する車の修理工場で働き始めた。父親の死から十年。世の中はバブル景気に浮かれているが、毎日朝から晩まで油にまみれ、地道に働き続け、もらえる賃金は雀の涙ほど。砂浜で女の子たちに群がる男どもと一体何が違うのだろうか。彼らの住む世界には、楽しいことが溢れているのだろう。しかし真司の暮らしは何も変わらない。それにこれから客先でこっぴどく怒られる運命が待っている。
「やってられないよな」
 真司は誰もいない重苦しい空気が漂う車内で、別世界のような砂浜の風景を眺めながら独りつぶやいた。

<続く>

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