【連載小説】小五郎は逃げない 第43話
闘走 5/5
「いや、二本とももう使えない。新しい木刀が必要だ。次の通りまで走るか」
桂の木刀は二本ともぼろぼろになっていた。そう言う以蔵の木刀も使えそうにない。
「いや、わしはもう走れんきに。元に戻るのに、ちっくと時間がかかるぜよ。予定通り一周して来てくりゃせんかえ」
先程の戦闘前に全力疾走した以蔵の肉体的ダメージが、まだ回復していなかった。
「わかった。しかし、そういう私もかなり体力を消耗した。そう長くは走れん。残りのやつらを一気に倒す」
走るだけなら体力を保てたかもしれないが、真剣を持った相手に対して、立て続けに木刀で戦闘を行ったことで、桂のスタミナもかなり奪われていた。
「私が敵を引き付けている間に、隠し場所から木刀を持ってきてくれ」
「どこで待っちょたらええかえ」
「私たちの寝ぐらだ」
桂は片頬だけで微笑んだ。
新選組の屯所にいた近藤のもとに、急報が知らされた。
「まんまと逃げられただと」
怒りに震える近藤を見て、知らせに戻った隊士は平伏した。斬られるかもしれない恐怖心で、顔を上げることができなかった。そこに土方が一人ぶらりと戻ってきた。
「歳よ、桂が三条河原に現れて女を逃がし、やつも逃走していると聞いた。おまえはなぜのこのこと、ここに戻ってきた!」
近藤の怒りが爆発した。
「いや、ここに戻って来る途中にその話は聞いたよ、近藤さん」
土方は怒る近藤をよそに平然と答えた。
「ならば、ここに戻って来る前に、やつを捕えに行くべきではないのか。このままやつを逃してしまえば、新選組はまたも大失態を繰り返すこちになる。おれたちの進退も危ぶまれることになるぞ。おまだってわかっているであろう」
平常心を少し取り戻した近藤は、土方を諭すように言った。
「ああ、わかっている。女の処刑の寸前を狙ってくるとは、さすがに思いもしなかった。おれも油断してたよ」
土方は特に申し訳なさそうな素振りも見せずに言った。その態度が近藤の怒りに再び火をつけた。
「おまえがそんなことでどうするんじゃ。隊の規律が緩むではないか。もっと気合を入れろ!」
近藤は大声で叫んだ。
「まあ、そう怒るなよ。要するにやつを捕まえればいいんだろ」
土方は淡々と言った。
「どういうことだ」
「やつは女を奪還するために襲撃してきた。どうやら加担しているやつが一人いるようだが、女を一人で船に乗せて逃がしたらしい。やつは必ず女に接触してくるはずだ」
「どうやって女の行先を見つけるのだ」
「そこは抜かりない。それにおれが引き連れていた別働体がすでに動いている。いよいよ本当の大捕物が始まる。おれがここに戻ってたのは、近藤さん、あんたにも来てもらいたいからだ。それに残っている隊長級の隊士も含めて全員出動させてくれ」
「勝算はあるんだろうな」
「おれが勝算のない戦いを、今までしたことがあるか」
「んっ、わかった」
近藤は屯所に残っている隊士だけではなく、幕府の要人を警護している隊士や、別の捜査を行っている隊士全員にも声をかけ、終結させるように伝令を発した。
「それで、どこへ向かうのだ」
「心配するな。もうすぐ連絡が入る」
桂はまた京の町を疾走した。今まで通りに、大通りを一直線に走っていては、路地を使われて挟み撃ちにされる危険性がある。桂はなるべく隊士たちを引き付けながら、追いつかれるギリギリの距離を保ったまま走った。桂自身の体力も消耗し始めたいたため、走行距離を短くするために、三条通までは戻らず、四条通から一つ北にある錦小路通を西へ走った。先程の戦闘で新選組隊士十人を倒した通りである。桂は気絶している隊士や、木刀で打ち込まれた痛みに悶絶している隊士の横を駆け抜けた。追手の隊士たちは、怪我をしている仲間に目もくれずに追いかけてくる。まるで全く猟犬のようだった。
桂は烏丸通りを南下し、四条通を西へ走り、三日前まで以蔵と共に寝ぐらにしていた四条大橋が見えてきた。橋の袂に、以蔵が木刀を肩に担いで立っていた。この当時の四条大橋の幅は、三メートル程しかなかった。この狭い幅の橋の上であれば、先の戦闘のように敵に取り囲まれずに、二、三人ずつを相手にすることができる。それに彼らは橋の下で寝泊まりしていたので、この橋のことは熟知していた。桂の狙いはそこにあった。以蔵もそのことは、桂が言わずとも理解していた。以蔵は橋の袂までやってきた桂に木刀を放り投げると、二人は橋の中央まで走っていき、急に立ち止まって追手の方に振り向いた。戦闘が始まった。
隊士たちは、橋の上では新選組の常とう手段が使えないことにやっと気付いたが、時すでに遅かった。桂の稲妻のような一刀を、一人目の隊士がまともに受け止めた。受け止めただけなのに、後ろへすっ飛ばされた。凄まじいパワーとスピードである。倒された隊士は、なお斬り込もうとするが、一対一の戦いであれば、桂の敵ではない。いくら斬り込んでも簡単に跳ね返される。業を煮やして、決死の一刀を上段から打ち込んだが、桂の中断からの胴を打ち込まれてあえなく悶絶した。
以蔵には隊士が二人がかりで襲ってきた。以蔵は橋の欄干をひょいと飛び越えて、橋の外に飛び降りた。橋の下は鴨川である。水深は浅いが、川の中央辺りになると深い所もある。隊士の一人が、以蔵の行方を伺おうと欄干の外に顔を出すと、橋の下からにゅーっと以蔵の腕が伸びてきて、その隊士の襟をつかむと橋の下へと放り投げた。何カ月も橋の下で暮らしていた以蔵は、橋の下から橋の構造を嫌と言うほど見てきた。橋の下には、横梁が縦横無尽に張り巡らされており、以蔵がどの位置から梁の上に飛び降りることができるのか熟知していた。以蔵は川の中に飛び込んだ振りをして、横梁の上に飛び降り、隊士が欄干の外に首を伸ばしてきたところを狙ったのだった。
桂は次々と敵の隊士をなぎ倒していった。二人がかりでは全く太刀打ちできないが、三人以上で桂を取り囲むには、橋の幅が狭すぎる。あっという間に、二人の隊士がそれぞれ肋骨と膝の皿を砕かれて、戦闘不能の状態に陥った。桂と次に対峙した隊士は、桂に負けまいと勢いよく踏み込んできた。桂は相手の太刀を木刀で跳ね除けながら、後ろに下がった。桂もこの橋の状態を良く知っていた。橋の上からではわからないが、橋の下から見て床板が腐っている箇所を知っていた。桂はそこに相手を誘導した。敵隊士が大きく前に踏み込んだ時、足元の腐っていた床板がばりっと割れて、足を取られ転倒した。足を怪我した隊士は、痛みを堪えて顔を上げると、いかにも獰猛そうな寅之助の顔が目の前にあった。驚いた隊士は、後ろに飛び下がると橋の欄干を超えて川の中に頭から落ちて行った。
以蔵は横梁の上を縦横無尽に走り、橋の上に飛び上がって来ては攻撃を繰り出した。以蔵の並外れた身体能力が成せる業である。橋の下のどこから以蔵が飛び上がって来るかわからない。まさに神出鬼没だった。背後を突かれた二人の隊士が後頭部に一刀を叩き込まれて気絶した。残った隊士は三人。以蔵はすでに橋の上に戻っていた。三人は橋の前後から、桂と以蔵の挟み撃ちにされた。まだ数的には有利な状況にあったが、剣の腕が段違いだった。三人の隊士は、あっという間に倒されてしまった。
「これで全員倒したぜよ。女のところへ急ぐきに」
「そうだな」
二人は幾松が待つ六条河原へと走り出した。寅之助がその後に続いた。
<続く……>
<前回のお話はこちら>
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