【連載小説】小五郎は逃げない 第16話
暗殺剣 2/3
以蔵は日が明るいうちに再び町に出て、木刀を二本持って日が暮れる前に四条大橋の下に戻ってきた。桂はどこから調達したのか尋ねたが、以蔵は何も答えなかった。おそらく武市配下の土佐勤王党員に無理を言って持ち出してきたのであろう。しばらくすると、いつも通りに差し入れのにぎり飯が、橋の上から吊るされてきた。二人は腹ごしらえをして、夜になるのを待った。そして人気のない河原で、月明かりを頼りに木刀を構えた。
「手加減しゃせんと打ち込まないかんぜよ。そうでないと、暗殺剣ってもんをおまさんに見せることができゃーせんきに」
「命の恩人に一刀を叩き込むのは気後れするが、ここは遠慮なくやらせてもらう」
桂がいきなり以蔵に接近するなり、上段から一刀を振り降ろした。以蔵は後ろに飛び下がって難なくかわした。桂にしては以蔵の実力を探るための七、八割程度の力しか出していなかったが、桂の動きに負けず劣らず以蔵の足さばきは軽く速いことがわかった。素早く体勢を戻した桂は、立て続けに攻撃を繰り出した。しかし、いくら打ち込んでも簡単にかわされた。桂は攻撃しながらあることに気が付いた。以蔵は桂の攻撃を後ろに下がりながらかわしているのに、二人の立っている位置が立ち合いを始めた時から、ほとんど変わっていない。桂は一旦攻撃を止めて、間合いを取ろうとした。すると以蔵から今にも攻撃してくるような気配を感じ、防御態勢に入ったが、なかなか打ち込んでこない。しびれを切らした桂がまた攻撃を仕掛け、再び同じことを繰り返す。しかし、なぜか二人の立ち位置は変わらない。いや、桂が前へ押し込むのだが、押し込んだ後に以蔵の覇気に押されて、桂は自分でも気が付かないうちに、後ろに下がっていたのである。
以蔵はほとんど攻撃することなく、ただ覇気だけで剣豪と呼ばれる男を押し返していた。桂は以蔵から今まで経験したことのない気を感じていた。これは人の気ではない。獣の覇気である。人を食い殺そうとする獣の覇気である。桂はその獣の気に押されて、自分の方から攻撃をさせられているかのような違和感を覚え始めていた。以蔵は桂の攻撃を紙一重でかわしてくる。底なしの体力を持つ桂も、次第に肩で息をするようになってきた。桂が打ち込むときに一歩目の踏み込みが、ほんの少しずつ遅れ始めた。遅れると言っても、時間の単位では表せない極々微小な間である。そこでやっと以蔵が正面から打ち込んできた。桂は木刀でそれを受け止め弾き返す。しかし、また桂は違和感を覚えた。以蔵があまりにも軽いのである。以蔵が桂に比べて小柄な身長ではあるが、それにしても、いとも簡単に弾き返すことできた。桂は弾き返した勢いのまま、突きを繰り出した。後ずさりする以蔵の喉を確実に捉えている。
「決まった」
桂がそう思った刹那、どこからともなく現れた以蔵の木刀が、ほんの軽く桂の木刀に当たって軌道を変えられ、以蔵の首の右横へと逸れて行った。桂は体制を立て直すべく、素早く以蔵の背後に回り込み以蔵の方に体を向き直した。以蔵がすかさず打ち込んで来る。桂は木刀でそれを受け止めると、再び弾き返した。やはり軽い。今度は試しに後ずさりする以蔵の胴を狙ってみた。捉えたと思った瞬間に、またも木刀の軌道を変えられてしまった。桂のように一刀に重さがある訳でもなく、底知れぬスタミナがある訳でもない、とにかく以蔵の動きに無駄がなく速い。まるで桂の攻撃を事前に読んでいるかのようだった。焦ってはならないと自分に言い聞かせてはみるものの、じらされて攻撃を仕掛けてしまう。しかし、ことごとくかわされる。この繰り返しが少しずつ、少しずつ増えていく焦りと共に、スタミナを奪っていった。この焦りを煽ることが、まさしく以蔵の作戦であった。攻撃されながら立ち位置をキープするには、相手の攻撃をかわす回避運動と攻撃を仕掛けようと見せかけるフェイクを巧みに折り混ぜる必要がある。この駆け引きが実に上手い。幾多の剣術の試合をこなしてきた桂でも、まんまと術中にはまってしまった。そして、途中から暖簾に腕押しのような攻撃パターンを増やして、イライラを募らせるバリエーションも織り交ぜた。桂は自分の攻撃を決まりそうで決まらない状況が継続していくことに、知らず知らずのうちに焦りが蓄積し、攻撃に雑さが目立ってくるようになった。
また以蔵が面を打ち込んだ。桂は正面から木刀で受け止めて弾き返そうとした。しかし、先程と違う。以蔵が重い。あんなに軽くはじき飛ばせたのに、今度は岩のように重い。桂は強引に押し返そうと右足を後ろに引いた。ほんの一瞬である。ほんの一瞬だけ隙ができた。桂が引いた右足に力を込めた瞬間に、目の前から以蔵が消えた、と思った瞬間に桂は顎にとんでもなく重い一撃を受けたかと思うと、身体が一旦宙に浮き、そのまま後方に吹っ飛ばされ、頭から地面に叩きつけられて気を失った。
「おぉ、目が覚めたかえ。いや、まっことすまんかったぜよ」
桂が目覚めた時には、四条大橋の下の寝床に寝かされていた。気絶した桂を以蔵が運んでくれたようである。まだ少し頭が痛んだ。しばらく何も考えることができず、起き上がって座ってみたが、頭がふらふらした。曖昧だった記憶が少しずつ戻って来る。そう、以蔵と立ち合いをしていた。対外試合は何度も経験していたが、何かいつもとは違う感覚で、剣道を習い始めた子供のように木刀を振っていた。いや、振らされていたと言ってもいい。そして決着はどうなったのか。「そうだ、顔面に強い打撃を受けて気絶したんだ。」やっと思い出した。
「あの時、何が起こったのだ」
桂は、自分がどのようにして負けたのか確かめようとした。
「小五郎、まだ横になっちょった方がええぜよ」
「いや、教えてくれ。なぜ私は負けたのだ」
同年代の剣士に限って言えば、桂は剣術の試合で坂本龍馬以外に負けたことがなかった。江戸で稽古に励んでいたころ、負けたとは言え、その当時最強と言われた坂本龍馬と互角に戦うことができた。それなのに、名も知られていない小柄な武士に自分がなぜ負けたのか、しかも気絶までさせられて。その理由を聞かないではいれなかった。
「わしの蹴りが、おまさんの顎にまともに決まったんぜよ」
「蹴り?」
「そうぜよ、おまさんはやっぱり強いぜよ。体力もあるし、剣のさばきが今まで殺してきたやつのだれよりも群を抜いて上手いぜよ。わしは避けるのが精一杯やったきに。それになかなか隙を見せてくれんから、こっちから打ち込むこともできん。やっぱり剣豪と呼ばれる男は違うぜよ」
以蔵は機嫌よく桂の強さを褒め称えた。以蔵が言うには、桂の視界から以蔵が突然消えたのは、桂の隙を突いて以蔵が地面に這いつくばるように低い体勢を取り、両手を地面について、自分の体を押し上げるようにして右足を桂の顎に打ち込んだということだった。
「あなたは剣術の試合で、蹴りを使ったのか」
桂は納得できない。
「それが暗殺剣ぜよ」
「こんなものが、暗殺剣と言うのか」
「そうじゃき」
以蔵は怪訝そうな顔をしている桂に、編然と答えた。
「おまさんは人を斬ったことがあるかえ。」
「いや、一人もない。私は何があろうと人を殺さない」
「わしは何十人も殺してきたきに。殺し合いっちゅうもんは、剣術の試合とは全く違うんじゃき。真正面から正々堂々と戦うなんてことは、ありゃせんぜよ。背後から斬り付けて、一瞬で殺せたらなんちゃーないけんど、その前に見つかってしもうたら、後の始末が悪りぃきに。増してや相手が手負いとなると、何をしてくるかわからんぜよ。刀をやたらめったらに振り回してくるやつもおったし、刀をへし折られたら石を投げてくるやつや噛みついてくるやつもおったきに。殺し合いってもんは、ほがなもんぜよ。相手が剣豪だろうが何だろうが、殺すためにゃ手段を選んでられんきに。わしはそうやって生き残ってきたんぜよ」
<続く……>
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