【連載小説】「八月の歌」第四話
怒る側と謝る側、どちらがエネルギーを多く消費するのか。それは圧倒的に怒る側なのだろう。ひたすら謝り続ければ、怒る側のエネルギーが枯渇して先に折れる。真司はこの工場に勤務して、そのことを体得した。しかし謝る側にもストレスが溜まる。怒る側がエネルギーを減らしていく代わりに、謝る側はストレスをどんどん増やしていく。
そのストレスの受け皿が小さい者は、いわゆる逆切れという非情な手段に打って出る。自分の非も厭わず、相手に自分のストレスを投げつける。真司の場合は違った。ストレスの受け皿が他の人よりも余程大きいのか、ひたすらストレスを溜め続けることができた。
真司の工場の先輩である横山は、かつて中学時代に暴れ回っていた札付きの不良だった。そのタイプの人間は、気に食わないことがあればすぐに暴力に訴える。恐らくはストレスの受け皿が極端に小さいのだろう。
ストレスという液体が器から止めどなく溢ふれ出すと、何とかして収容しようとするがその受け皿を持ち合わせていない。収容できなければ蒸発させるしかない。その媒体が怒りである。怒りは精神の均衡をも壊してしまい、挙句の果てに暴力という狂気を発動させて事態を収拾させようとする。
相手の立場、気持ち、そんなことなど全く考えていない。そうやって暴れ回れば、ストレスが蒸発していく。混乱した精神は、器からストレスが一滴たりとも残らないように蒸発させようとする。そう、例え一滴でも残っていれば、不快で仕方がないのだ。それで自分は何事もなかったようにすっきりするが、相手の器にストレスを注ぎ込んでいることに全く気付いていない。これを自分本位と言うのだろう。さらに器を完璧に乾燥させるために、ギャンブルにのめり込む。時には女を抱く。方法論は身勝手際なりないが、ある意味ではストレスのコントロール方法を知っている。
<続く>
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