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お墓参りは真心をもって

歳を取ったせいか墓参りに行くと感慨深い。

心が洗われるなんて大それたことは言わないが、気持ちが晴れるような気がする。

若い頃から墓参りに行くことは多々あったが、こんな気持ちになったことがない。

それまでは義務的に行っていたという感は否めない。

近いうちにこの墓に自分も入ることに現実味を帯びてきたから・・・、なんてことは冗談だが、墓参りに対する意識が変わってきたのかもしれない。

何と言うか、墓の前で故人に会えたような気になる。

姿が見えるわけではない。

故人との思い出が頭の中で巡り、会いに来たんだという自覚がはっきりする。

当たり前のことだとおっしゃる方もおられるかもしれないが、ぼくはそんな観念すらなかった。

墓石に水をかけて丁寧に磨く。

物を拭いているという感覚ではない。

自家用車を洗うのは表現が良くないが、体裁を取り繕うため。

ペットの犬を洗ってあげるのは、大切な命を育んであげるため。

墓石を洗うのは何ためだろうか。

先祖への感謝の意を表すため、亡くなった故人への敬意を払うため、個人を大切にしろと自分を戒めるため・・・、どれもしっくりこない。

うまく言えないが、体が勝手にそうしている。

目的なんてない、ただ単純にそうしようと思ってやっている。

心の中は無の状態だ。

でもこれが本当の真心じゃないのだろうか。

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鈴々堂/rinrin_dou@昭真
小説を読んでいただきありがとうございます。鈴々堂プロジェクトに興味を持ってサポートいただけましたらうれしいです。夫婦で夢をかなえる一歩にしたいです。よろしくお願いします。