自分の魅力がわからないと思った時に読むエッセイ
いつも周りに人が集まってくる人がいる。
陽気で話し上手で人を惹きつける魅力がある。
そんな人とは真逆な人もいる。
あまり人付き合いが得意ではない、おとなしい人。
両者の違いって何だろう?
はっきり言って持って生まれた人格の違いだ。
おとなしい人がある日突然陽気な人のような振る舞いをしたって、おそらく人は集まってはこないだろう。
陽気な人は生まれた時からいつも人が集まってきたに違いない。
それが陽気な人の生活の中で、極当たり前のことになってしまっているのだろう。
だからおとなしい人はその逆で、周りに人がいないことが当たり前なんだ。
それは両者ともその環境にいることが居心地いいと思っているから、自然とそうなっていたんだと思う。
しかし人は飽きる生き物だ。
時には違う環境に憧れることもある。
陽気な人が孤独な生活を送ってみるとする。
でも孤独になりたいのに人が集まってくる。
来るな、来るなと思っても、迷惑を顧みず、人が集まってくる。
これじゃ意味がない。
孤独になることを諦めるか、さらに孤独を極めようとするか、それはその人の心境に左右される。
おとなしい人が意を決して、人の集団の中へ飛び込んで行くとする。
最初はどうかしたのかと警戒されるが、そこは我慢。
しかし面白いことを言おうとしても、どうも板につかない。
そのうち面白くない人のレッテルを貼られてしまう。
人と一緒にいることを諦めるか、さらに人の中に飛び込み続けるか、それはその人の心境に左右される。
どちらの人格がよくて、どちらが悪いと言うことなんかない。
でも自分にないものを持っている人に憧れてしまうんだろうな。
ぼくは思う。
人の魅力って何だろうかって。
陽気な人の周りに人が集まるのは、一緒にいて楽しいから。
一見してワイワイガヤガヤとしていて、楽しそうな雰囲気に見える。
それだからと言って、本人も楽しいと感じているとは限らない。
"ぼくの方も楽しませてくれよ"って思っているかもしれない。
でも周りのたくさんの人から、必要とされていることは間違いない。
おとなしい人には人が集まってこない。
しかし自分の価値をわかってくれる一人の人が一緒にいてくれたら、それで十分幸せなんじゃないだろうか。
一緒にいてくれる人が一人なら、集中的に大切にできる。
人の魅力って、周りの人から必要とされることなんじゃないだろうか。
その数は問題じゃない。
何十人だろうと一人だろうと、必要と思われることに差異なはい。
小説を読んでいただきありがとうございます。鈴々堂プロジェクトに興味を持ってサポートいただけましたらうれしいです。夫婦で夢をかなえる一歩にしたいです。よろしくお願いします。