自分が幸せじゃないと思った時に読むエッセイ(後編)
欲しい、欲しいと、願ったものが手に入った時は、それは、それは嬉しいことだろう。
しかし、必ずしもそれが幸せをもたらせてくれるとは限らない。
何を、どんな欲しいものを手にしたとしても幸せになれるとは限らない。
世界を見渡してみると、住む家もなく、満足な食料もなく、不遇な生活を強いられている人たちがいる。
彼らは自分たちのことを幸せではないと言うだろうか。
もし彼らが、この世に生まれてこれたことで十分幸せだと言ったら、あなたはどう思うだろうか。
そんなはずはないって思うのだろうか。
彼らは何もない世界に生きている。
テレビもパソコンもスマホもない。
ただ生き延びることだけを考えて毎日を生きている。
欲しいものは何もない。
ただ生きたいと願う。
そんな人が自分のことを幸せと思うだろうか。
スマホを使えないから、自分は不幸だと言うだろうか。
しかし、生き延びることを願い、苦しいながらも生き続けているなら、悲しいけど願いが叶っている。
願いが叶うことが幸せと言うなら、虚しいけどその人たちは幸せってことになる。
その日、一日を無事に暮らせることを心から願うなら、それが叶うなら、毎日が幸せと思える・・・。
物に溢れたぼくたちを取り巻く環境を考えれば、そんな感情にはとてもなれないだろう。
ぼくたちは幸せになるために、何を願えばいいのだろうか。
欲望は尽きない。
欲望が満たされなければ幸せになれない。
人間であれば、当然のことだ。
でもそれを追い求めている限り、本当の幸せにはなれない。
幸せって意外に身近なところにあるかもしれない。
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小説を読んでいただきありがとうございます。鈴々堂プロジェクトに興味を持ってサポートいただけましたらうれしいです。夫婦で夢をかなえる一歩にしたいです。よろしくお願いします。