『京都創造者憲章』は、こうして生まれた~芳賀徹先生の朗読に一同感服~

京都創造者憲章が、芳賀徹(はが・とおる)先生(東京大学名誉教授)によって起草されたのが、2003(平成15)年秋のことである。当時芳賀先生は、日文研(国際日本文化研究センター)から京都市左京区の京都造形芸術大学学長へと転じていた。
京都市上京区の京都ガーデンパレスで開催された京都ブランドに関する会合(いわゆる起草委員会にあたる位置づけの会議)では、座長である芳賀先生が、東京の上品なことばで、憲章案を自ら朗読された。その趣旨やなぜこの語句をここに使ったかまでを流れるように説明された。
――他の府県や都市ならブランドという言葉を使うだろうが、そんな安っぽい言葉を京都で使うのはやめよう。あらゆる人々が営みを通じていろいろな創造している街だから「創造者」という呼び方をしてみた。カタカナは使わずに考えた。
――京都の憲章なのでやはり古典を題材にしたい。代表的なのは、源氏物語。しかし憲章にするのはどうか。それなら徒然草か・・・。平家物語は、ちょっと違う。やはり清少納言の枕草子がピタリと来る。

こうして「春はあけぼの」ではじまる枕草子をモチーフにして、春夏秋冬の四節からなる京都創造者憲章が生まれた。驚くことに堀場氏、佐藤氏、若林氏ら出席委員からは一言の異論も字句修正提案もなく、一同「すばらしい」と拍手で承認されたのである。
ここにその全文を紹介する。

■京都創造者憲章

一、春はあけぼの。淸少納言がながめた紫いろの夜明けの雲は、いまも東山にたなびく。私たちは京都のこの風土と歴史のゆたかさをとうとび、ここにたくわえられた智慧を今日に生かし、明日に伝える。

一、夏はよる。北山の闇を飛びかうほたるは、先人たちのみたまの火。その火にみちびかれて私たちの心は夜の深みに下り、みずみずしく洗われて新たな創造の力を得る。

一、秋は夕暮れ。西山に日が入るころの風の音、虫の音(ね)は、みやこの文化と生業(なりわい)をつらぬく格別のひびき。「もののあはれ」へのこの感覚のするどさを生かしてこそ、京都独創の文物は生まれ、世界の人々の心に訴える。

一、冬は早朝(つとめて)。白い霜のおく寒さのなかに、かえって背筋をのばし、声をかけあって立ち働く。このすがすがしさ、この誇りとよろこびこそが、藝術都市京都の風格を守り、京都創造の品々の品格を高めて、これを世界の先端に立たせるだろう。

この原文は、かな(ひらがな)の使い方が絶妙である。
また、枕草子だけでなく「夏」のほたるのくだりは、和泉式部とか他の古典の要素も盛り込まれていることにお気づきだろうか。
先の会合で、ある委員から、あけぼの、夜明け、日の出・・・どれが早いのか?といった質問が出たが、芳賀先生は、順番をあげ、『あけぼのは、うっすらと全体があかるくなりはじめる頃、夜明けのほんの少し前あたりをさすでしょう』と答えておられた。

芳賀先生は、のちの京都新聞のインタビューにこう答えている。「京都は古典のまち。もう一度、真っ向から日本文化の豊かさを学び直し、身に付け直す。古今集や源氏物語、枕草子といった古典を読み、思想や自然の四季のうつろいに対する非常に柔軟な感性を学び直し、後輩や子孫に伝えていく」

私は、朝起きたら、この憲章を朗読して職場へ向かう。今日も新たな創造の力が湧き出て来る気がする。(2019年12月11日記)

●今後の予定

私は、この「京都創造者憲章」ので原案起草発表の一年ほど前、芳賀先生執筆日経新聞連載『詩歌(しいか)の森』を読んでいた。ある回で芳賀先生の3歳くらい(当時)のお孫さんが「ひさかたの光のどけきはるの日にしず心なく花の散るらん」(紀友則)と舌がまわるのもやっとだが、自然に古典に親しみリズムよく口ずさんでおられるとあった。そのお孫さんは今、どうしておられるだろうか。いつか聞いてみたい。

最後に、芳賀徹先生には「画文交響(がぶんこうきょう)」という名コンセプトや著作がある。機会があればこれについてご紹介する予定です。

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