芳賀徹先生が京都に遺されたもの
◆芳賀徹先生が京都に遺されたもの~第3回世界水フォーラム、京都創造者憲章、古典の日~
芳賀徹先生が2020年2月20日、他界された。
京都創造者憲章を2003年、起草した先生だ。
比較文学の第一人者、東京大学名誉教授、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)元学長で知られる。
先生の戒名は「曙光庵桃源宋徹居士」とのこと。
1. 第3回世界水フォーラム
2003年3月に京都を中心に、滋賀、大阪、そして淀川流域で開催された「第3回世界水フォーラム」のある事業の座長を引き受けていただき、前年の2002年には、大学のある左京区の瓜生山まで何度も通った。その後、京都ブランド懇話会の座長をお願いした際、「芳賀先生のご著書の中である人の言葉が印象的でした」と述べると2秒ほど考えられ、
「ああ、(その言葉は)小泉信三だね」とさらっとおっしゃった。
自分の浅はかさを思い知った。
それから芳賀先生の本を読みまくり『画文交響』という本が芳賀先生の集大成で、最も京都発展のカギになる書と感じている。
最後にお会いしたのは宇治市だった。
2.芳賀先生の魅力と作品
私の芳賀先生資料ファイルから振り返りたい。
⑴小学校からの心友の平川すけひろ・東京大学名誉教授による追悼の辞(抜粋)
♦高雅で香り高き人
手紙に限らず、丁寧に推敲された芳賀の文章は言語芸術として香り高い。絶品です。しかし徹という人間はさらに高雅でした。私どもは君の如き優れた人を友とし得たことを生涯の幸福に数えます。(藤原書店発行 月刊 『機』2020年3月No.336より)
⑵芳賀徹先生のご著書『画文交響』の「みやこの四季の歌」より
・京都に勤めるようになったのは1991年からだから、ずいぶん長いつきあいとなった。定住者ではないのだが、それでも以前は桂に、9年前からは上賀茂に、家を借りて住みなれるとさすがにいいことがいろいろとある。(p577)
・なによりも、京都の四季の風物がこの上もなく美しい。1922年(大正11年)5月、京都大学で講演した詩人大使ポール・クローデルは、京都は澄んだ空の下に山々と庭園に囲まれ、物語を語る川の水音をひびかせ、王朝以来の藝術と宗教の雰囲気を濃く宿す都 ローマ、ダマスカスと並んで世界でもっとも美しい三つの都市の一つだ、と語ったことがあった。(p577)
・50に近い大学を擁しながら、三方の山々から流れ出る清流が市街のなかをいまなお音たてていく都というのは、21世紀のこの世界に、京都以外にどこにあるだろう。
そして実は、京都に住んでもっともよいことは、右の山紫水明の美しさと深くかかわることだが、少なくとも私にとっては日本の、ことに平安の古典の詩歌がいつのまにか意外なほどに身近に感じられてくるということである。(p578)
③日経新聞「リーダーの本棚」(静岡県立美術館館長 芳賀徹氏)
座右の書は、与謝蕪村の句集ですね。山形で育った少年時代を思い出します。同欄【私の読書遍歴】より。
《座右の書》
『蕪村全句集』(藤田真一、清登典子編、おうふう)
《その他愛読書など》
①斎藤茂吉歌集(岩波文庫)。ふるさとの山、川、空を歌った偉大なる魂の調べ。
②『特命全権大使 米欧回覧実記』
③『福翁自伝』
④『名ごりの夢』
⑤『夢酔独言他』
⑥『蘭学事始』
⑦『日本古典文学大系94 近世文学論集』
⑧『中村草田男集』
⑨『朝鮮詩集』(金素雲訳編、岩波文庫)
⑩『六十年前の今』(河井寛次郎著)
(日本経済新聞2015年10月18日朝刊)
3.最後に
どの事業でもそうだったが、総括段階になると、必ずと言っていいほど、芳賀徹先生は自分が言ったことを、しっかり理解し遂行してきたか、わたしたちに対してテストをされた。
ここちよい緊張のひとときだった。
芳賀先生が起草された「京都創造者憲章」を胸に、京都の活性化と世界への貢献に取り組んでいきたいと決意を新たにしている。
1994年に終わった平安建都1200年記念事業のまとめをすませ、1300年(2094年)へとバトンをつなぎたい。
◆おすすめ本
芳賀徹『藝術の国日本-画文交響(がぶんこうきょう)』(角川学芸出版、2010年)¥5,800税別
以上
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