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”言葉にしない”美しさを忘れがちな日々
どうして忘れちゃうかねぇ
言葉にしたくない、とメッセージを貰いました
そこに不快さはまったく0で、あぁつい言葉にしない美しさを忘れてしまうなぁと
言葉にしない美しさを感じるシーズンが前にもありました
ドラマ いちばんすきな花を観てた時
映画 夜明けのすべてを観た時
薦められて読んだものの解釈が難しかったその世とこの世
あえて言葉にしない優しさをもらったこともありました
noteを徘徊する中で知った言葉、
「優しさは想像力」「何を言えるかが知性、何を言わないかが品性」
でも忘れちゃう
つい、私はその状況、心情にびたーっと、
ぴたっとよりびたーーーっと
当てはまる言葉を探しがち
ついでに相手にも求めがち、、、
、、、よくないね
今が一番かわいいのかな
私の仕事はお子さんとその家族に接する仕事なんですが
とあるお客様との、別れ際
もうすぐ、歩いちゃうのかな?おしゃべりもできちゃうようになるのかな?
なんて、話してました
その流れで、お父様は
1歳の子を抱っこしながら
”今が一番かわいいのかな”
と、つぶやきました
親になったことがない私ですが、どうもひっかかってしまいました
その1歳にはきょうだいがいて、おしゃべり好きで、元気な子でした
話さない、話せない時期が一番かわいい と親に思われる
とは、解釈したくないですね
あぁ、まただ。私のなかの家族の神格化
その方にとっては、手のかかることがむしろ愛を尽くすことができる時間
ずっと自分の目の届く範囲にいてほしい、それほど愛している
ということでもあるのでしょう
最近、読んだ本
![](https://assets.st-note.com/img/1728963813-qGuKJHnW34NUpok9DO6TVlZr.jpg?width=1200)
言語は、人々が自分の考えをたがいに隠しあうために発明された。
シャルル=モーリス・ド・タレーラン
言葉にして表現すると、相手にも自分の内情が”晒されてしまう”
捕食される危険のある食物連鎖のピラミッドのなかに、「私」という人間が置かれていたとすれば、コミュニケーションは諸刃の剣となりうるのである
「どうして」と「なぜなら」の意味を覚えたとき、
子どもは一人前の人間の仲間入りをはたす。
エレイン・モーガン『子宮の中のエイリアン』
子どもは親を始めとする周囲からの音によって、言語の「学習」が始まる
やがて子どもは自分の行動に音をつける習慣をみにつける
最初は、それらの行動は警告らしいもの、称賛されるもの、説明らしいものでしかないが
いずれ、その単一の行動にふさわしい目印となる言葉を結び付けるようになる
このプロセスを言語化してくれて知見が深まった
(著者も言うように言葉の恣意性については厄介な話だが)
人間が言葉を身につけたときに、脳に組み込んだ改良箇所のおかげで、自分の行動を再観察、再考、再設計することができるようになった。これは、脳をいわば反響室として利用するようになったからである。
言葉は脳で反響する。したがって、すぐに消えてしまうような現象が
一つの対象として、形とは言わずともどこかまとまりを持つようになる
影響力があるものは、意識され、自身の言動を揺るがす価値観と呼ばれるものに近しいのかもしれない(私の解釈)
こわい、だから考える
とにかく、一度口から出た言葉は
微力かもしれない、即効性はないかもしれない
だが、確実に力を持つ
使い古された言葉かもしれないけど、
言葉は丁寧に
言葉はこわい
言葉はおもしろい
ね、お父様。