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本たちの読書録 #8
母から借りた本
ブックカバーを付けてくれていたおかげで
一男、九十九
ぜったいこんなにイケメンではないだろ、って読後になりました
ネタバレを含みますが、読む人、
私の読む時の状況、年齢によって
味わい方が変わるだろうと思って、
noteに残しておきます
人生に必要なもの。それは勇気と想像力と、ほんの少しのお金さ
以下、ネタバレを含む
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私が、この本で感じた
作者が伝えたかったことは
”欲”は悪いものではないということだと思いました
”私のお気に入り”を探すこと が 人生そのもので
”あなたのお気に入り”を探したいと思う心 が 人を愛するということ
そんなものではないでしょうか
わたしたちは、なぜか
欲深いという言葉には、どうも悪い印象を持ってしまうよう育ちました
欲をコントロールし、理性的に、
物事を判断できる様に
知性や品性を感じる
大人であることを示しているのかと錯覚させられる
ただ、完全な悪であるわけではなく
それとどうお付き合いしていくか
良くも悪くも
欲を引っ張り、欲に引っ張られる
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↑とは別に
私の目が留まったのは、百瀬の賭と千住パートで懐古されていた店主の話
この世界では、あたりまえちゃうことのほうがとかく目立つし、良く思われたりする。でも勝つためには、あたりまえを見つける目が必要なんや。そして見つけたことをバカにせんと、あたりまえにやる。そんだけで、ほとんどの勝負は勝つことができる。でも、それが案外難しい。この競馬場でそこらへんを歩いている奴に、そのことに気づいている奴は誰もおらへん。みんな自分の欲とか恐怖に囚われて、あたりまえのことを見失う
凡事徹底。
ここを抜き出した私は、それを大事にしたいんだろうな。
日常のなかの些細な変化、違いに気づける人間に憧れがある自分に
改めて気づけた。
あたりまえはあたりまえだからこそ、気づきにくい
あたりまえが壊れたとき
あたりまえを誰かのあたりまえと比較したとき
そういう時にしか、あたりまえは輪郭を見せない
皮肉にも、輪郭を見せたときには、もう
あたりまえを求めても、掴めずに、空を切るかもしれない
普通を知っているから、普通からはみ出せる
目立つ才能がある人は、普通になる才能もまた高いのだ
目立ちたければ、まず普通であることを目指す
あたりまえ、を続けるのは難しい
面倒になったり、もっともっとと欲張ったり、
欲や恐怖が顔を見せたら、何度でも何度でも、本からの学びに戻ってきたい
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いつもどおりのみすぼらしい恰好で働く。それが商売を続ける上で必然だと考えていた。
たとえ、大金を手に入れたとしても、
生活水準を変えずにいられるだろうか
そして、それを「必然」だと言えるか
必然という言葉に目が留まった
当然ではなく、必然
必然と当然の違いは何だろうか
必然=必要+当然 ?
必然=必至+当然 かな?
どこか必然のほうが、確かな理論に裏打ちされているような
崇高なものに映ってしまうのはなぜだろうか
私は、
与えられた状況で、当然の選択ではなく
必然の選択をできているか?
当然の結果ではなく、
必然の結果を自分で手繰り寄せたい