自分の好きな服を着るために考えたこと
私は、なぜ派手な服を着れないのだろう。
人から「無印っぽいね」と言われたことは、一度や二度では無い。
確かに、私はシンプルなアースカラーの服ばかり着ている。
クローゼットに、原色の服はほとんど無いし、それだけで主役になるような派手なプリントの服も無い。
人からの指摘の通り、実際に無印良品で買った服は何枚もある。
無印は好きだ。値段も手ごろだし、サイズも幅広い。
けれど、人から「無印っぽい」と言われることは、正直嬉しくない。
そこから「大人しくて、無難な服の人」という含みを感じてしまう。
本当にシンプルなアースカラーの服が心から大好きで、無印良品も心底好きだったら、たぶんこんなにもやっとしないと思う。
シンプルな服は好きだ。
だけど、もっと華やかで派手な服だって、本当は着てみたい。
私はそう思っている。
なのに、どうして私は派手な服を着れないのだろう。
自分の着たい服を着られるようになりたくて、少し考えてみた。
なぜ派手な服が着れないのか
人の目が気になる。
何だか恥ずかしい。
ざっくりとした原因はこれだけれど、もう少し細かく考えてみる。
私は、一人で外出する時に限って言えば、まだ少し派手な服を着ることが出来る。
だって、私のことを知っている人が周りに居る訳では無いから。
通りすがりの見知らぬ誰かに「あ、何か派手な服」と思われたところで、それは痛くも痒くもない。
逆に、職場や友人たちが居るところでは、派手な服を着るのは物凄く気にしてしまう。
まず、着て行くことは出来ない。
とすると、私は「派手な服を着る」こと自体が恥ずかしかったり苦手な訳では無い。
知っている人から、
「いつも地味なあの人が、今日は派手な服を着ている」
「あれ、イメチェンかな?」
そう思われることが、耐え難い。
言うなれば「一念発起して、ちょっと変わってみました感」
これを悟られるのことが、私はとても恥ずかしいのだった。
…めんどくさい自意識だなあと思う。
人のイメチェン、どう見える?
ここで、じゃあ人がイメチェンしてたらどう感じるよ私。
と、視点を変えてみる。
(▲さん、イメチェンできるなんて、素敵だなあ~)
(へ~~、▲さん髪色明るくしたんだ)
結論:
好意的に思うか、別に何とも思わないか、だいたいこのどっちかだった。
そりゃそうだ…。
別に、他人のイメチェンなんて、人はそんなに気にしていない。
自分に矢印が向くと自意識であわあわしてしまうけれど、他人事と思えば私だって別に気にしない。
それでも、週明け出社してみたら突然ふんわりボブにしてた同僚や、今までワンピースなんて着てこなかった先輩が初めてワンピースを着てきた時は、
「イメチェン出来る人って、素敵だなあ」と秘かに思っていたものだ。
間違っても、
「一念発起して、ちょっと変わってみたんだ~!!へえ~」
なんて嫌な感じに思ったりしていなかったのだった。
時に例外もある
ただし、時として確かに例外はある。
私が社会人2年目の頃。
当時の部長は、30代後半男性、既婚子あり、普段はどっしりとして男性味溢れる感じの人だった。
こじゃれた感じでも、チャラっとしている風でも無かった。
ある月曜日、その部長が思いっきりパーマをかけて出社してきたのだ。
びっくりした。
本当にびっくりした。
似合うとか似合わないとかでは無く、全然パーマをかけるキャラじゃなかったので、心底驚いたのだ。
チームミーティングの席だったが、私は即座に部長から目を逸らし、絶対に今日はもう部長を見ないようにしようと決めた。
唖然としたのは私だけでは無く、他の社員も同じだった。
だって、誰も部長のパーマに触れなかった。
普通なら「あ、パーマかけたんですね~」くらい絶対誰か言うのに。
「…パーマかけてみてさ、」
ついに、部長は自分で話していた。
「あ、似合ってますよ~」
と無感情で返していた女性の先輩の、何と頼もしかったことだろう。
と、そんな思い出がある。
思い出すと、変わることをしり込みしそうになる。
いや、別に誰がいつパーマをかけたって全然いいのだけれど。
ただ、ちょっと待て落ち着け私、と思う。
私がしたいのは、今までよりちょっと派手めの好きな服を着れるようになることだ。
どうあがいても「突然の部長パーマ」以上のインパクトにはならないだろう。
いつも地味な私がツーブロックの金髪にでもしない限り、周りは驚かないと思う。
だから、よっぽどのイメチェンをしない限り、大丈夫だと言うことだ。
(人の目なんか気にしないし、よっぽどのイメチェンをしたいんだ!と思ったら、もちろんすればいい)
好きな服を着るメリットとは
自分を表現できる。
メリットは色々あるけど、私の場合はこれに尽きると思う。
大人しそう、と言われることが私は多い。
別にうるさいわけではないけれど、実は大人しい訳でもないのでもやっとしてしまう。
ただ、シンプルな服を着て、自分から積極的に喋ることが少なければ、それはそう思われて当然かもしれない。
自分の好きな服を着ることは、自分の好き嫌いや考えを表すことでもあると思う。
外からの印象と、自分のもつ本来の印象の差異を減らすことが出来る。
それは、間違いなく自分にとって良いことだ。
好きな服を着ている人に共通していたこと
自分の好きな服を、自分のために着ている人って、ちゃんと分かるものだ。
職場でも数人そんな人がいるので、何となく思い浮かべたところ、ある共通点を見つけてびっくりした。
好きな服を自分のために着ている人って、みんな姿勢がいい
これは結構驚いた。
そうじゃない人もいるとは思うけれど、私の近くの人は本当にもれなくそうだったのだ。
自分のために、自分の好きな服を着る。
そんな自分が好き。
その意識が、背筋を凛と伸ばすのかもしれない。
正直、とてもうらやましいし憧れる…!
まとめ
ここまで色々考えて、
自分の好きな服を、どこであろうと着ることが出来る自分になろうと改めて思った。
春だし、ちょっと派手めのボタニカル柄のスカートなんか、着てみたい。
暖色カラーのニットも、勇気が無くて買えないけれど、本当はちょっと気になっている。
急に着ていくのは、やっぱりハードルが高いなと感じたら、まずはイヤリング一個からでもいいと思う。
大きめで、派手な色で、いい感じのイヤリングを買いに行きたい気分になった。
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