ごごら はな

自分の考えを出すところ。2021年からnote始めました。

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最近の記事

【読書感想_3】ムーミン谷の彗星

ムーミンシリーズの二作目。 前作「小さなトロールと大きな洪水」がふわりとした「始まりのお話」だったのに対して、こちらは意識的に「物語」として書かれている印象。 よく知るムーミンの世界が広がっていて、おおムーミンだ!と感じた。 ■スニフの人間くささが胸に刺さる スニフの臆病で欲張りで見栄っ張りでわがままなところが、ほんとーにもうあまりに愛おしくてびっくりした。 たぶん、子供の頃にはそう感じてなかったと思う。 大人になって読んでみたら、スニフの色んな言葉に共感して何度も頷いて

    • 【読書感想_2】小さなトロールと大きな洪水

      ムーミンシリーズの一作目。 他の作品は少し読んでいるけど、これはちゃんと読んだことが無かった。 これを機にシリーズを通しで読んでみようと思い、読んでみた。 初期ならではの作品感に溢れていて、そこが何とも言えない魅力になっていた。 世界観もキャラクターの性格もまだしっかり固まっていなくて、二作目以降のムーミンシリーズとはやや雰囲気が異なる。 読者と物語の距離が、他の作品よりずっと遠い。 離れた所から、ムーミンたちの旅の様子をそっと見ている感覚があった。 ストーリーも、随分と

      • マスクをつけて美術館に行くこと

        アート作品を見る時、嗅覚はとても大切だったんだ。 と感じたのでそれについて。 今日、東京都現代美術館に行って二つの展示を観てきた。 ・ライゾマティクス_マルティプレックス ・マーク・マンダースの不在 コロナ禍で以前より美術館に行く頻度が減っていて、まあまあ久しぶりの美術館。 それぞれの展示の詳細は省くけれど、それぞれとても面白かった。 全く違うメディアを使いながらも、両方に「言葉を超えた世界」を感じた。 「マーク・マンダースの不在」から先に観たのだけれど、こちらは主に

        • 【読書感想_1】キレる!脳科学から見た「メカニズム」「対処法」「活用術」

          キレる!脳科学から見た「メカニズム」「対処法」「活用術」 中野信子/2019年/小学館新書 を読んだので感想です。 ■なぜ読んだか元々、私は人に怒りを表すことがとても苦手だった。 ずっと事無かれ至上主義のまま怒りを出さずに生きていたら、だんだんと怒りを感じること自体無くなっていた(心が麻痺してた) でも、この状態って問題だよね? 生きていく上で、怒りをちゃんと表すことって絶対必要。 …と痛烈に感じたので、ここ数年で怒りや自己主張について考えたり勉強している。 この本では

          「ちゃんとしなきゃ」を止めるには「そもそも」が結構効いた

          子供のころから割としっかりしていて、いわゆる学級委員気質でした。 姉弟の中では一番上の長女で、まさに絵にかいたような長子的性格です。 中学高校以降は、外でそれを出すことは控えるようになりましたが、根っこの部分は大人になっても変わっていません。 ・ちゃんとしなきゃ、しっかりしなきゃという意識が強い ・友達と会う時も、日にちの設定や店の予約等「決める係」になっている ・中途半端な状態がきらい などの傾向が、まあ強いです。 でも、最近「ちゃんとしなきゃ」の意識ってやっかいだな

          「ちゃんとしなきゃ」を止めるには「そもそも」が結構効いた

          違和感に気付きやすくなってきた

          ・今、気持ちがスッキリしていない ・今、もやっとしている 最近、自分が感じるこんな違和感に気付きやすくなってきた。 「違和感センサー」なるものが、今までより上手く機能している感じだ。 自分を大切にする上で、これは嬉しい前進だなあと思う。 子供の頃から、人との摩擦や自分の意見を言うことがとても苦手だった。 周りに上手く順応することで、自分を守ってきた。 けれどそれを続けるうちに、私は怒りに気付くことが出来なくなり、自分で考えることもしなくなってしまった。 これではいかんと

          違和感に気付きやすくなってきた

          断ることが自分の自信になる

          目標達成した時とか、人から評価されたときって、とても嬉しいし自信になります。 でも、最近すごく感じるのは「断ること」が出来たときも、凄く自分の自信になるということ。 元々私は断るのが苦手でした。 嫌だなと思ってもつい受けてしまったり、しっかり断れないから何となく話をそらして有耶無耶にしたり(相手にはばれていたでしょう…) でも、断ることが出来ないって凄くしんどいし辛い。年齢を重ねるごとにそう感じるようになりました。 だから、少しずつ出来るところから、意識的に断ることをし

          断ることが自分の自信になる

          「良いか悪いか分からない」ということ

          「今の自分の考えを臆さずに出せるようになる」 これは、私が今一番なりたい自分の姿です。 そのために、色々細々したことを試して行動して、試行錯誤中。 そんな中で気付いたのが、自分の中で、 「このテーマについては、意見とか考えが何にもない…」 「え、どっちでもいいけど…」 「良いか悪いかも分からない。感じられない」 と思うことが、とても多いのです… 考えを出せるようになりたい。 けれど、出すべき考えが私の中にそもそも全然無い…という状況。 とくに、社会問題に対してはこれが

          「良いか悪いか分からない」ということ

          元から心配性

          私は心配性です。 先のことを考え過ぎて疲れることは日常茶飯事。 何でこんな細々した性格なんだろうと嫌になることもあります。 もっとどーんとした性格になれたらなあと常々思っています。 ただ最近は、これって生まれつきの性格なんだよなあ…と少し客観視できるようになりました。 心配性の原因は、家庭環境とかトラウマ的出来事があったなど、本当に人それぞれだと思います。 でも、思い返してみれば、私は子供の頃から何かと心配性でした。外的要因よりも先天的な性格として持ってたみたいです。 そ

          元から心配性

          具体的に、自分の声を大切にするとは…

          自分の声を大切にする。 自分の気持ちに正直に。 それは凄くそう思う。 自分らしく生きるために、とても大切なことだ。 じゃあ自分の声を大切にするって、具体的にどういうことなんだろうか。 まだいまいちピンと来なくて、私はウーンと唸ってしまう。 自分のことなのに、はっきりとした思いや答えがバシッと出てこないことなんて、ざらにある。 自分の声を大切にする。 そう「思っている」だけではどうやら上手く行きそうにないと思って、「自分の声を聞く時間」を意識的に設けてみたりしている。

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          大坂選手のようになりたくて、ボイトレに行くことにした

          先日、ボイストレーニングに申し込みをしてきました。 初回レッスンはまだなので、どんな感じかはまだ分かりません。 ボイトレ、もちろん人生初です。 正真正銘はじめてです。 30代後半デスクワークの私が、なぜボイトレに行くことにしたのか。 それは、 自分の考えを言えるように、変わりたい。 大坂選手のようになりたい。 という思いからです。 自分自身変わりたくて、ボイトレに申込みをしました。 大坂選手とは、テニスの大阪なおみ選手のことです。 大坂選手のようになりたくてボイトレ?な

          大坂選手のようになりたくて、ボイトレに行くことにした

          自分の好きな服を着るために考えたこと

          私は、なぜ派手な服を着れないのだろう。 人から「無印っぽいね」と言われたことは、一度や二度では無い。 確かに、私はシンプルなアースカラーの服ばかり着ている。 クローゼットに、原色の服はほとんど無いし、それだけで主役になるような派手なプリントの服も無い。 人からの指摘の通り、実際に無印良品で買った服は何枚もある。 無印は好きだ。値段も手ごろだし、サイズも幅広い。 けれど、人から「無印っぽい」と言われることは、正直嬉しくない。 そこから「大人しくて、無難な服の人」という含みを

          自分の好きな服を着るために考えたこと

          答えたくないことは、別に答えなくていい

          ここ最近、そう思うようになりました。 聞かれた瞬間に「…はあ?(怒)」と不快感がわくタイプの質問はそもそも答える気にならないのでいいのですが、それより注意すべきなのは、 「聞かれた瞬間に強い不快感はわかないけれど、でも少しもやっとする」 といったタイプの質問です。 強い不快感がないので、話の流れでうっかり答えてしまうことが多いです。その後で、 ああ、やっぱり話すんじゃなかった。 黙っていれば良かった…。 と、とても後悔する羽目になった経験が、私には結構あります。 何

          答えたくないことは、別に答えなくていい

          note初投稿後にまず思ったことは「もっとさくっと始めれば良かったー!」

          2、3日前にnoteに初投稿をしました。 タイトルの通りですが、初投稿後にまず思ったのが、 「いやー、もっとさくっと始めれば良かったー!」 でした。 本当にこれに尽きました。 私はnoteを始めるまでにけっこう時間がかかった人間なのです。 実際始めるまでに、半年以上あれこれ考えてぐるぐる状態でした。 ・noteじゃなくて、エバーノートでもいいんじゃない…? (オープンなところへの投稿にすっごい気後れ) ・来月から…まあ始めるか… (単純にずっと先延ばし) 主にずっと

          note初投稿後にまず思ったことは「もっとさくっと始めれば良かったー!」

          「自分らしく生きたい」という自我の目覚め

          ちょうど30歳を過ぎた頃からでしょうか。 「自分らしく生きたい」と頻繁に思うようになりました。 言うなれば「自分らしく生きたい」という自我の目覚め。 元々私は何かを声高に言う人間では無く、人との摩擦衝突が子供の頃から本当にめちゃくちゃ大嫌いでした。 だから、 ・腹立たしいことがあったのに、それを表に出さない ・私これ苦手なんだよね、を相手に伝えずに結局もやもや こんな感じのことが日々たくさんありました。 でも、自分にとってそれほど苦でも無かったんですよね。 (全く苦じゃ

          「自分らしく生きたい」という自我の目覚め