季節や気温、音と、生きる
毎年、冬になると、少しだけ気分が落ちる。
時々、漠然とした不安で押しつぶされそうになったり、その感情を自分でコントロールすることが少し難しくなったりする時もある。
でも、ここ数年は、その波が緩やかになってきていて、おお〜これでも成長できているのか〜なんて、ちょっと嬉しくなっていた。
そんな今日は、急に気温が下がって、雨も降っていたせいか、まだ10月というのに真冬並みの気温。
帰り道、最寄駅に着くと、目の前の交差点を一台の救急車が通過した。
その瞬間、急に、体が動かなくなった。
音も、何も聞こえなくなって、なんとなく、金縛りに近い感覚。
それでも、頭では冷静に自分を分析していて、大丈夫、もう少ししたら歩こう〜、と考えていた。
しばらくして、また歩き始めて、ようやく帰宅。
今日は、絶対に早く帰って、Netflixでだいすきな韓国ドラマの続きを観るんだ〜と張り切っていたのに、思いのほか帰宅するまでに時間がかかってしまった事にも、少しだけ落ち込んだりする。
真冬の気温に、久しぶりの雨、救急車のサイレンの音。
日常の中で、いくらでも出会うものなのに、条件が揃ってしまった今日は、わたしの中の弱い部分が、反応してしまったのだと思う。
日常に溢れるたくさんの記憶
私は、両親を冬に亡くした。
今年で6年が経つ。
きっと、私たちが想像している以上に、日常には記憶が溢れてる。
季節や気温、匂いや香り、天気や音。
なんでもない日常のなかで、こころは勝手に記憶を辿っていく。
きっと、これは故人に対してだけではなくて、友達、家族、恋人
いい思い出も、ちょっと嫌な思い出も、全部
思いもよらないところから、記憶が蘇ったりする。
人間ってすごいなぁと思ったりもする。
その"なんでもない日常"は、わたしたちを寂しくもさせるけど、一瞬でその人といた場所、その人といた時間に連れていってくれる
辛くもあるけど、これって、実はとても貴重で、愛すべきものなのかもなあ、と思ったりもする。
死別による悲しみ=グリーフ
私は両親を亡くした後、死別による自分の心と体の変化と向き合う必要性を感じて、数年前に遺族ケアといわれる「グリーフケアアドバイザー」の資格取得を通して悲嘆について学んだ。
何かに活かしたい、誰かのために、というよりは、自分の身に起こっている事を理解したかった。
結果、悲しみのプロセスについて知ること、理解することは、私にとっては、自分で自分を支えるために、とても大きな支えになった。
回復に向かうための悲嘆反応
グリーフケアでは、死別後に起こるあらゆる反応を、悲嘆からの回復へ向かうための正常反応とみている。
故人を強く恋しがったり、深い悲しみを繰り返したり
頻繁に泣いたり、故人のことで頭がいっぱいになったり
逆に涙が出なかったり、全然悲しさが込み上げてこなかったり、悲しめずにいたり
思い出の場所に故人を探しに行く人もいれば、思い出の場所に拒否反応が出る人もいる。
その悲嘆のパターンや長さは本当に人それぞれ。
悲しむこと、それは、回復に向かうために、実はとても大切なステップだということを知ると、悲しんでいる自分を、否定しなくていいんだ、と思えたりする。
悲嘆の波は、平均、5年を目処にゆるやかになってくると言われているらしい。
私自身、5年経ったあたりから、自分で実感できるレベルの心の変化を感じたから、妙に納得したのも覚えてる。(もちろんこれも個人差はあると言われてるけど)
故人との関係性や、遺族の置かれている今の環境。そして故人の亡くなった状況や故人への想い、悲嘆の形は、人それぞれ。
過程は故人と遺族の人生そのもの。
その過程があるからこそ、遺族は哀しみに暮れ、打ちひしがれるのだと思う。
だから、悲しみ方もそれぞれ。そこに正解もなければ、間違いもない。
乗り越えるのではなく、共に生きる。
死別体験に限らず、わたしたちはよく「一緒に乗り越えようね」とか、「やっと乗り越えたね」とか、そんな声をかけ合うことがある。
私は、両親との死別を経験してから「乗り換える」という言葉に違和感を感じるようになった。
悲しみや寂しさは、乗り越えるものではなくて、共に生きていくものなのではないか
乗り越える、という概念は捨てて、むしろその悲しみや寂しさを、抱き締める。辛さを、抱いてみる。
そうすると、不思議と、故人の死を否定することもなく、自分自身も、あたたかな気持ちになるというか。そんな気がしている。
これからも、季節や気温、音とともに、生きていく。
せっかくなら、自分のなかの、パパとママとの思い出に、あたたかさを感じながら、進んでいきたいなあ。