タイプ4の「自分自身を理解したい・理解されたい」について
タイプ4には自分自身を理解するために特定の感情を自分自身と同一視する所があり、また自分らしいと感じる側面を理解されたい欲求がある。
タイプ4の根源的欲求は「自分自身でありたい」である。この欲求がなぜ恐れに繋がるのかについて考えてみる。
(※囚われに関しての記事でも述べたように、エニアグラムの囚われは「欲求を満たそうとすることで恐れた結果を引き起こしてしまうという悪循環」だと考えている。)
タイプ4にとっての「理解」
おそらくこんな感じになる。
❌️自分自身を理解する手助けをしてくれる人がほしい。外側からの新たな視点が欲しい。
⭕️自分自身の自己認識と一致する形で自分自身を見てくれる人だけを受け入れたい。自己探求に関しては、自分の内側から湧いてくる新たな視点が欲しい。外側からの意見は誤解だらけなので受け付けない。
本来であれば様々な形で自分自身に関心を持たれているわけだけど、タイプ4には「自分にとって重要な部分を自分自身の特徴として見てほしい」という所があり、その部分に焦点を置いてくれる人を探し求めていると言える。
周りからの解釈のされ方を「正しい理解」と「誤解」に分けている感じ。「分かってくれる人に分かってもらいたい」がこれに該当する。
またタイプ4には傷つきたくないという側面があって、「本人が傷つかない形での解釈」が「自分自身への正しい理解」への鍵を握っているのかな?と考えた。
「図星を突かれて痛い」と「変な解釈をされて苦しい」が一体になっている。
これがどういう形で恐れに繋がるかと言うと……
本来では、自分自身の最も受け入れたくない側面も自分自身の一部であるのにも関わらず、タイプ4の根源的欲求は自分の心が受け入れるものだけを選別するので、自分自身に関して一部しか知らないことになる。その結果「自分自身についてまだ分からない面がある」となり、さらなる自己探求へと繋がる。自己探求するが、どれもピンとこないみたいな感じ。
「誤解されている」と感じる時でさえ自分自身に関心を向けられ(自分とは違う視点から)理解はされているものの、「これは誤解であり私自身とは何の関係もない」として扱うことで「肝心な所に関心を向けられずに誤解され続ける自分」の像が出来上がる。
「自分に気付きたい」という欲求を抱えながらも、自分の観点に合わない観点からの意見は受け付けない所がある。
つまり……、タイプ4は自分自身を知りたいと願っているが、知るための手助けをしてほしいわけではない。
自分探しのために本を読んだり性格診断などをする場合もあるけど、「知りたいので教えてほしい」とは異なり「しっくりくるものを探し当てたい」が近い。
結局、タイプ4は「しっくりくるものに出会いたい」という欲求を持っているのではないか?
日常的に起こるありふれた場面での他者からの関心はむしろ「誤解されている」という苦痛を生み出し、「あなたの私に関しての洞察が偶然に私の表現したいものに一致した」という偶然性から来る感動を求めているのではないか?
……と、トライタイプに4を持っているタイプ9の私は考えた。