タイプ5とタイプ9の違い(リソ本)における疑問点/「無言の抵抗」について
タイプ5とタイプ9の違いとして、こんな記述がありました。
タイプ9の私としては、これが疑問です。
タイプ9でも、自己感覚を強めるために人を避けることはあると思います。
この記述にある通り、タイプ9は「自立」するために「退く」のです。
これが「自己感覚を取り戻すために人を避ける」だと考えています。
タイプ9は、自分の感じている「本当のこと」が「嘘」にならないように閉じこもり、自己感覚を強めるのです。
自分の気持ちや考えなど、タイプ9はあらゆることが外と同化しやすく、それに対してストレスや抵抗を感じるタイプでもあります。同化よりも抵抗が優位になった時に、タイプ9にも「閉じこもり自分を見つめる」反応が出てくるのです。そのために外との関わりを避けることさえあります(なぜなら遊離型なので)。
外で起きている出来事の解釈に抵抗し、自分の解釈により外で起きている事を否定することを内側でします。
タイプ9はガッツセンターであり、ガッツセンターは「自分の意志を押し通して現実にしたい」タイプでもあります。タイプ9自身がAという動機で行ったものが、外からはBという動機として受け取られたら、Bという動機は現実ではないので抵抗を感じます。Bに抗いAを優位に立たせられたら良いのですが、タイプ9の「言い包められる」性質により無力感を感じたら「閉じこもる」選択をします。
これが「無言の抵抗」なのです。
この反応は、健全度では真ん中の段階であるレベル5で顕著に出ると考えています。
自分の慣れ親しんだやり方(Aとした動機)を変えなれけばいけない(Bとも見られる)ことに抵抗を感じるので、人から心理的距離を置き、時には物理的距離を置くことによって「かかわらない」ようにする。
例えば、好きなものが侮辱されたら悲しいので、好きなものを侮辱してくる人とは関わらないようにすることで「これを好きでいても大丈夫なんだ」という感覚を維持する。
特に、人々と良い関係を築きたいタイプ9にとっては人々の良い(≒理想的な)素質が覆ることがストレスなので、一旦人から距離を置くことで再び「それほど悪くない」という自己感覚を取り戻し、「私は別に大丈夫」という平和な世界の認識を維持する。喧嘩した時に一旦その人との距離と時間を置いたら「冷静に考えてみれば、私が気分を乱しすぎただけで、あの事は許せるかも」となる。
あるいは自分のやり方に留まっているのが心地良いので、変化を要求する存在を避けることで、自分の優先順位を取り戻す。
私は「人を避けることによって、自分の優先順位や自己感覚を取り戻そうとする」をこういう事だと解釈しました。
もしかしたら、タイプ5では違った受け取り方になっているのかもしれません……。