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キャラクターの要素を自分に取り入れる『kin』とエニアグラムタイプ9について
私の名前の由来について
この『りの』って名前ですが…
2年くらい前の推しの名前になります!
なんかね、推しの名前でいると落ち着く。
名前だけでも、推しになったみたいな気分で幸せ。
「名前くらい自分で考えろや!」と言っている人も見たことがありますが……嫌です。なんか、嫌。
ところで『kin』とは?
英語圏の近しい文化で『kin(fictionkin)』というものがあります。
『kin』は『親戚』を意味し、転じてアイデンティティを形成する要素としてフィクションのキャラクターの要素を取り込むというものです。
「私の心にはそのキャラクターの要素がある」だとか、「私はまさにそのキャラクターだ!(なりきっていると言うより同一化する)」みたいに表現されます。
そうする事により困難を乗り越えることができたなど、キャラクターが成長を手助けしたと主張する人もいます。
いわば『心理的な親戚』です。
(解釈違っていたらごめんなさい!)
エニアグラムとの関係
私は、この行為が非常にタイプ9っぽいと感じました。
「タイプ9は自我の認識が困難であるため、他者と繋がりを持つことにより安心を得る」
『Fictionkin』がまさにそれを表しているように感じました。
この「他者との繋がり」はSNSで「繋がりましょう!」と言うようなそのような単なる関わりではなく、「その人に馴染む」ということを意味していると考えています。
「馴染む」……つまり自我を消して内面を全てその人のものに変えるということです。
なんかスピリチュアルですね(笑)。
タイプ9は自分のニーズをうまく把握できないことが多いです。
「何を求めているか?」「何を考えているか?」をうまく認識できないため、アイデンティティを得るために指針とする人物を探すのです。
その人物を『kin』と表現します。
この「他者に従う」というのはタイプ6に似ているかもしれません。
タイプ6との違いを述べるとすれば、タイプ6が意識して「周りに合わせないと」と行動するのに対して、タイプ9は「気付いたら合わせてた」って所でしょうか。
本当に我に返った時に気付くというか。(騙されないように気をつけようね!)
タイプ9はあらゆる事に関して無自覚なんです。
そのため、一番「天然」だと言われやすいタイプ(特に9w1)だと思っていますし。
「自我を出してはいけない」という囚われを持っている性格だから、無意識のうちに「自我」という自分の内面的特徴を消そうとしているのです。
「自分のアイデンティティを作るための基礎となる “だれか” や “なにか” を探そう。」
タイプ9の人の中にはこのように特殊な自我の形成過程を歩んでいる人もいるのではないかと思います。
私もその一人です。