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『ジョー・ブラックをよろしく』を観て

こんにちは、こんばんは。ファンタジーを愛する、RINOと申します。
ここでは洋画を中心に、私のお気に入りの作品を、好きであるが故に、恥を惜しまず熱っぽく語らせていただきますので、どうぞお付き合いくださいませ。

第1回は誰もが一度は憧れたであろう、ブラッド・ピット主演作品、『Meet Joe Black』(邦題:ジョー・ブラックをよろしく)です。

《概要》
◎1998年公開
◎アメリカ映画
◎監督:マーティン・ブレスト
◎出演者
 ・ジョー・ブラック/コーヒーショップで出会った青年:ブラッド・ピット
 ・ウィリアム(ビル)・パリッシュ:アンソニー・ホプキンス
 ・スーザン・パリッシュ:クレア・フォーラニ
 ・アンソニン・パニッシュ:マーシャ・ゲイ・ハーデン
 ・ドリュー:ジェイク・ウェバー
 ・クインス:ジェフリー・タンバー

※以下、ラストまでのあらすじや好きなシーン・セリフについても触れますので、未見の方はご注意ください。

《あらすじ》
ニューヨークのメディア企業「パリッシュ・コミュニケーション」の社長であるウィリアム・パリッシュ(以下ビル)のもとに突如、客がやって来る。その数日前から奇妙な声を聞いていたビルは、その声の主がこの客であることを知る。ジョー・ブラックという名をビルからもらう彼は死神で、ビルを迎えに来たのだった。ジョーは大富豪で地位も名声もあるビルを人間界の案内人に任命し代わりに旅立つ日を遅らせる、という交換条件のもと、人間の生活を体験していく。
一方、ビルの娘スーザンはジョーの姿を見るなり驚く。それはジョーが街のコーヒーショップで意気投合した青年にそっくりだったから。それもそのはず、ジョーはスーザンが出会った青年の体を借りて人間界にやって来ていたのだった。気さくな青年とは裏腹にどことなく不自然なジョーに何者なのかと問うが、彼は「I am Joe.(私はジョーだ)」とだけ告げる。初めは困惑していたスーザンだが、徐々に二人は惹かれ合い、愛を深めていく。
ビルの65歳の誕生日パーティー。これがビルに残された最後の時間。人間の愛を知ったジョーはスーザンと一緒にいたいと願うが、それは彼女をあの世へ連れていくことと同義であり、ジョーは葛藤する。苦悩の末、スーザンに本性を告げることなくジョーはビルだけを連れ、あの世へ帰っていく。そしてジョーと入れ替わるようにして、スーザンの前にはあのコーヒーショップで出会った青年が姿を表すのだった。


とにかくブラッド・ピットが格好いい!そしてかわいい…笑
当時彼は35歳でこの役を演じたようですが、金髪で短く整えられたヘアスタイルに背広姿、ラストシーンのタキシード姿は、見惚れずにはいられないほどの美しさ。一方で、人間界に降りてきたジョーはその生活の中で「ピーナッツ・バター」を気にいるわけですが、スプーンいっぱいに付けてもらったピーナッツ・バターをペロペロと舐めている姿は、これまた可愛い。初めて口にしたときはその美味しさに特別表情を変えることはないものの、子どものようにただスプーンを突き返し、料理人の男性にもっとくれとねだるんです。スーザンだけはスプーンを加えるその姿を見て、困惑と同時に若干引いたような表情も見せていましたが…笑
そして娘のスーザン。クレア・フォーラニ、私は彼女をこの作品で知ったわけですが、コーヒーショップでのグレーのTシャツ姿、プールでの水着姿や二人の抱擁、ラストのドレスアップ、どこを切り取っても美しく、ジョーへ気を許していくうちに彼女の表情が凛々しい女性から乙女へと変わっていくのもとてもリアル。二人きりで初めてキスをするシーンがあるのですが、そこで交わされる「時計の針は正確に刻んでいるのに、私の鼓動は早い」という会話が私はとても好きです。

死神と恋に落ちるというファンタジックなストーリーなわけですが、根底にあるのは「生きるとは」という大きなテーマです。物語の始め、スーザンにはビルの右腕的存在のドリューという恋人がいます。しかしスーザンはビルからの「ドリューについてどう思っているのか」という問いに肩をすくめるだけで答えを見出せません。そのときビルは
「一度くらい恋に溺れてみろ。地に足がつかない想いで、歓喜の歌を歌い、踊り出してみろ。目のくらむ幸せを知れ。愛は情熱だ。妄想だ。無しでは生きられない。それが本当の愛だ。死ぬほど相手を好きになって、相手も同じだけ愛してくれる。そう言う人と会うには、考えずに心の声を聞くんだ。愛する人がいなければ人生を生きる意味などない。冒険をおかし恋に落ちることもなければ、それは生きてないのと同じだ。そういう恋を見つかる努力を何もしなければ、生きる意味はない。」
と言います。そしてその後、
「心を開いていれば、いつか稲妻に打たれる」
と言い放つのです。
この言葉をジョーも何度か引用していますが、これは、ビルと亡妻、ビルとアリソン(長女)、ビルとスーザン(次女)、アリソンとクインス(アリソンの夫)、スーザンとドリュー、そしてスーザンとジョー(青年)といったこの作品に散りばめられた数ある愛の在り方やそれぞれの考え方や想いを体現した言葉であったように思います。
最後にビルが旅立つシーンでは、涙を流すジョーとビルとの間で、
ビル「別れはつらいだろ」
ジョー「とてもつらい」
ビル「それでいい。生きた証だ」
というやりとりがされます。ビルはもちろんのこと、この短い時間の中でジョーもまた、懸命に生きたということがわかります。
人間誰しも生きることへの意味を考えたり、死への漠然とした恐怖を抱くことがあるでしょう。けれどこの作品は、ただひたすらに懸命にその時を生きることが素晴らしい人生の別れを連れて来てくれるということを教えてくれたように思います。

この作品は1934年に公開された映画『death take a holiday』(邦題:明日なき抱擁)のリメイク版だそうです。ストーリーは多少異なりますが、死神が人間界にやって来て恋をする、という大筋は同じなようです。オリジナルの方は未見なので、今度はこちらも見てみたいですね。


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