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短編小説「毛むくじゃら」

 わたしの家には毛むくじゃらがおります。それはそれは大きくて、歯をにっと剥き出しにして笑うのです。機嫌の良いときはさらさらと風に身を任せて踊り、機嫌の悪いときはその歯を牙のように尖らせ、ごうごうと音を立ててわたしを怯えさせるのです。
 真夜中というのはあまりに恐ろしく、謎めいたものでありました。というのも、このころはまだまともにオイル・ランプすら出回っていなかったのですから。そんな時代につねにわたしの人生に居座りつづけたこの毛むくじゃらは、ただひたすらにわたしを怖がらせました。
 窓の外からひゅうひゅうと者の鳴く声が聞こえたと思えば全身を震わせ、一秒でも早く、夜という恐ろしいこの暗闇を陽の光が奪ってくれることを願っていたのでした。けれどそんなわたしの恐れなんてお構いなしに、毛むくじゃらはものの鳴く声に合わせてその身体からだを大きく揺さぶるのでした。あたり一帯は夜闇に包まれているのです。そんな中、ごうごうと鳴り響く毛むくじゃらの声は、わたしを地獄へと突き落とすかのような、そんな声に聞こえてなりませんでした。そういうわけですから、毛むくじゃらとは仲良くなれるはずもないと、わたしは毛むくじゃらに対して背を向けて生活を送ることといたしました。
 少し時は遡り、そんな毛むくじゃらがこの家へやってきたのがいつなのかと申しますと、それはわたしがここへ来るよりももっとずっと前のこと。はるか昔から毛むくじゃらはここに住んでいるというのです。このことは隣に住む髭の長いおじいさんが教えてくれました。
「そんな太くて大きな身体を持って、あなたは一体いくつなの」
あるときわたしは毛むくじゃらに尋ねました。案の定彼は、何も教えてくれませんでした。けれどその髭の長いおじいさんの聞くところによると、もう三百年も生きているそうです。そんな話は可笑しいと笑う者もいるでしょうが、わたしは本当にそうなのではと妙に納得してしまったものです。そのくらい毛むくじゃらの身体は太く大きく、わたしの何倍、何十倍もの胴体を持っておりました。もちろんおじいさんよりもはるかに大きいのでした。
 いくら背を向けていたとはいえ、どうしても話をしなければならないときというのは起こるものです(さきほどの年齢だって、どうしてもというときに話したものです)。たとえばお母さんもお姉さんもみんなお出掛けにいってしまってわたし一人お留守番を任されたとき。こんなときはどうやって一人で時間を潰せばよいと言うのでしょうか。おとなしく利口に本でも読んでいればよいのでしょうか。けれどわたしにはそんな時間は苦痛でなりません。読書もお勉強も大嫌いなわたしが一人お留守番を任される。そうなるともうできることはひとつしかありません。そう、毛むくじゃらのもとへ行って、おしゃべりをすることです。
 彼が恐ろしいことに変わりはありません。しかし、彼は雨の日も暑い日差しの強い日も、自分を犠牲にして私を守ってくれました。一人さみしく過ごす時間に爽やかな風を起こし、紛らわせてくれたのも彼です。もちろんわたしが彼の顔をまじまじと見れたことはありませんでしたが、それでもわたしは少しずつ彼との距離を縮められていると感じていました。
 毛むくじゃらと話をするとき、わたしはぐいっと頭を持ち上げます。そうすることでわたしのか細い声でさえも、高く遠くにある彼の耳まで届くような気がしたのです。毛むくじゃらと食事をするとき、今度は足元にそっと座って食べるのです。そうすると毛むくじゃらもさらさらと身体を揺らし、喉を鳴らしてくれるのです。けれど毛むくじゃらは決してわたしに懐くことはありません。いくら話しかけても、彼は木の葉が風になびくように、ひゅうと時折鳴くだけなのです。それはわたしがこの家に、彼の住処に、侵入してきたからでしょうか。
 わたしが初めてこの世界を見たとき、その場所はこの家でした。それはわたしが産まれると同時に、家族がここへ越してきたからでした。遠いところから車を走らせてやって来たようです。詳しい理由は知りません。けれど、わたしには腹違いのお姉さんがいます。きっとそれが理由なのでしょう。もちろんお姉さんは、お父さんのお気に入りです。勉強もでき、運動もできる、とても優秀な人です。わたしとは大違い。そんなわたしに対しお母さんは庭先を示しながらこう言いました、毛むくじゃらと仲良くしなさい、と。それだけで十分よ、と。未だにわたしにはこの言葉の意味がわかりません。けれど、もう正解を知ることはないでしょう。
 それは去年の夏の嵐の日、お母さんは庭にあった大木に押し倒されて死んでしまったからです。その日は豪雨の叫ぶ声によって叩き起こされました。ほんとうにひどい雨風でしたから、一日中家に引き篭もってやり過ごすはずでした。午後になり、少々天気も落ち着いたころ、お母さんは庭の掃除に向かったのです。それからはあっという間でした。窓が音を立てるほどの突風が吹き、ある大木がお母さんに向かって倒れてゆきました。その巨体をお母さんに委ねたのです。
 わたしは決して毛むくじゃらを許すまいと心に誓いました。どうして毛むくじゃらは守ってくれなかったのでしょう。お母さんは呆気なく死に去ったというのに、彼はといえば、あっけらかんとそこに立っているのです!
 それからはお父さんのお気に入りになるべく必死にお勉強も運動もやったものです。しかしどれもこれもお姉さんには敵わず、次第にわたしはこの家で存在しないも同然の扱いを受けるようになりました。そうして結局は毛むくじゃらのもとへ帰っていくしかなかったのです。
 朝、目を覚ましカーテンを開けるとき、朝食をいただくとき、お散歩に出かけるとき、昼寝をするとき、夕食をいただくとき、夜ベッドで眠りにつくとき。生活のすべてで毛むくじゃらはわたしのことを見張っていました。ただひたすらにひゅうと喉を鳴らすだけでありましたが、それでも彼の目がつねにわたしを捉えているように思えてなりませんでした。どこにいても、何をしていても、じっとそこに佇み、わたしのことを見つめているのです。
 わたしがこの家にやってきてからそろそろ十年が経ちます。けれど、毛むくじゃらとは一向に仲良くなれる見込みがありません。彼は幾度となくわたしのことを守ってきてくれましたし、お母さんが死んでからも変わらずわたしの存在を受け入れてくれるようでありました。それでも彼はその大きな体でわたしを脅かしてきますし、静かに眠りたい夜にもお構いなしにどうどうとうなり声をあげて、わたしの目を覚ましにかかるのです。やはり毛むくじゃらもわたしをこの家から追い出したいのでしょうか。時折見せるあの優しさはすべて嘘なのでしょうか。まともに会話さえできないこの毛むくじゃらでさえ、わたしのことを邪魔者だと思っているのでしょうか。
 ある朝目を覚ますと、家の中はすっかり綺麗になり、わたしのぬいぐるみも本も服も、すべては箱の中に仕舞われていました。お父さんとお姉さんは早々に支度を終え、わたしを待っているようでした。邪険に扱うのであればいっそのことこの場所に置いていってくれれば良いのにと、そんなことを考える間もないまま、わたしは車という名の黒い鉄の塊に乗せられ、はるか遠くへと運ばれて行きました。窓の外を眺めながら、ああ、とうとう毛むくじゃらがわたしを追い出したんだわ、そう思いました。気づけばわたしの頬には一粒の滴が流れておりました。

 わたしの家には毛むくじゃらがおりません。それは大きな手を伸ばし、わたしを襲うようでありましたが、もう、その姿はどこにもありません。一人さみしく過ごす時間も、紛らわしてくれる者はどこにもおらず、ただただしょっぱい涙を飲み込むしかありません。夜、起こされることはなくなりましたが、一方でなんだか心虚しく眠れない日々が続くようになりました。毛むくじゃらのいない生活は、落ち着くようであり、物足りないようでもありました。何て図々しいものだと自分を情けなく思うものですが、それでもこのぽっかりと空いてしまった穴は、どうにも埋める方法を見つけられなかったのです。
 わたしが朝食にコーンフレークを頬張る姿も、くたびれたくまのぬいぐるみで遊ぶ姿も、ベッドで毛布に包まる姿も、毛むくじゃらに見られることはもうないのです。あの恐ろしい地響きのような鳴き声に悩まされることも、もうないのです。わたしは誰にも見張られることなく、一方で自分の居場所を見つけられないまま、虚ろな日々を送るようになりました。
 相変わらずお父さんとお姉さんはいじわるこそしないものの、私をそこにいないものとして扱う態度は健在でありました。そしてわたしはすっかりその生活に慣れきってしまっていました。だんだんとさみしいと思う心さえ失い、お母さんの声を思い出すことも、あの毛むくじゃらの存在を思い出すことさえもなくなってゆきました。時間というものは、どれほど深い穴でも簡単に埋めてしまう魔法の道具なのでしょうか。
 そこからさらにわたしは五年、十年と時を重ねてゆきました。ある朝目を覚ますと、再びわたしの部屋は綺麗になっていました。けれど今度は、わたしの部屋だけです。お父さんとお姉さんの部屋は変わらずそこにあります。とうとうわたしだけが追い出されるのです。いえ、自らこの家を離れると決心したのです。ただ一人、この世界を生きていくことを決めたのです。そのことに対し、お父さんとお姉さんはなにも言わないかと思えば、おいおいと泣いて止めるのです。泣いた理由を尋ねれば、家のことをしてくれる者がいなくなるからだというのです。まあなんて自分勝手なことでしょう。人間というのはどこまでも自己愛が強く、どこまでも自分中心な生き物なのだと強くそう思ったものです。かくいうわたしもその一人なのですが。
 そういうわけでまたまた黒い塊に乗せられたわたしは視線の先で、じっとくうを追っていました。これから始まるであろう新しい生活に心を踊らせるなど、どうしてかそんな気持ちにはなれませんでした。どこかに大きな忘れ物をしてきてしまったような、そんな気持ちがしてならなかったのです。
 それはしばらく続いたかに思われました。ふとわたしは、何かに呼ばれたような気がしました。気を確かに持ち、すっと振り返るとそこにはあの毛むくじゃらが立っていました。彼はすっかり痩せ細り、とても”毛むくじゃら“と呼べるようなものではありませんでした。彼の身体を覆っていたすべてが散り去っていました。それでも彼を一目見た瞬間、わたしには毛むくじゃらだとわかりました。わたしはこのとき、やっと毛むくじゃらのことを思い出したのです。あれほど時を共にしてきた毛むくじゃらのことを忘れていただなんて、自分でも驚くしかありません。
 時を重ねるごとに、わたしには毛むくじゃらの存在が必要なくなってしまっていたのでしょうか。それではまるでお父さんとお姉さんと同じではありませんか。なんて自分勝手なのでしょう。さんざん怖がったあげく、一人さみしいときには助けを求め、不要とあらば忘れ去る。自分がそんな人間になってしまったのかと思えば思うほどに、あまりに情けなく、無償に腹が立ってなりません。けれど最後には自分のプライドが勝ってしまったのです。どれほど悲しくても、どれほどさみしくても、毛むくじゃらの前で涙を流してしまっては、本当にあのお父さんとお姉さんと同じになってしまうと。おろかにも保身に走ったのです。そうして毛むくじゃらはこの冬、静かにその葉を、最期の葉を、地面に落として行きました。

 その後わたしは二度と毛むくじゃらに会うことはありませんでした。最後まで毛むくじゃらはわたしに懐くことはありませんでしたし、わたしも毛むくじゃらを心の底から好きになることはありませんでした。けれど今ではお母さんの言った言葉の意味がわかります。こうして失ってみると、不思議とちょっぴり寂しい気持ちになるのですから。


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