コーティングで生きてたい

1日が早いのか遅いのか図りかねています。
毎日同じようなお仕事、同じような息抜き、今この瞬間の思考、行動、周囲のリアクション、全てがびよんと伸びきっているような感覚。
その一方で、パンッと射し込まれる困難やイベント。感情を動かされているような、何かが身体の中で変わっていくような、自分が溶けて再構成されていくような感覚。

あぁ、それでも私は変われないんです。
伸びきった世界で予定調和を演じていても、感情を彷徨わせても、根っこの部分は変わりません。
何で今笑っているのかな、なんて考えてしまう私と、そんな私を誤魔化すように声を上げて笑っている私との同居にはもう慣れました。二重人格?そんなものでは。

ただ、圧倒的におかしい自分を分厚くコーティングした結果、コーティングが自ら正しいと思った方向に動くようになっただけです。
裏を返せば、コーティングはある意味、理想の自分だったのかもしれません。
上手く笑えて、目を見て話せて、みんなに好かれて、愛されて、みんなを愛せるような、そんな自分。

所詮、コーティングは覆いなので長くは保てません。ボロが出る。粗が見える。笑顔が見破られる。
その度に、可愛そうとか、笑って欲しいとか、素の自分を見せたい相手はいないのかとか、親切に丁寧に、コーティングと一緒に私を刺してくる人が出てきます。

違うのに。演じてる私が好きだから、みんなに好かれる私が、みんなを笑顔にできる私が好きだから、私は私をコーティングしているのに。
その裏側にこっそり生きている、弱くて惨めで、甘えたくても頼りたくても臆病故に一声も挙げられない私を見てほしくないだけなのに。

素の自分。これを理解していて、これを出せる場があって、どこかで受け入れられる自信があって、本当に笑える人って、全然生きている世界が違う気がします。
自分の意見を言えて、笑いながら話せる人。自分の幸せのために行動を起こせる人。ただただ尊敬します。
私はそこまで強くないので、痛い程羨ましい。

一方で、そこまで強かったら弱さが他人を傷つけてしまった事にも、強さが人を傷つけてしまうことにも気が付けなかったかもしれないな、と思う時もあります。
信頼されていないという誤解を抱かせてしまった事、「何でも受け入れるから安心して」という一言は、身動き取れなくなるほど痛くて苦しい事。ジメジメした私だから、理解できたのかなぁ…と思います。理解の必要性を問われれば即答しかねますが。


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