イタリアで作ったひとつの歌
記憶にある中で、私が自分の曲を奏でてみようと試みたのは、小学校の低学年の時だ。
ピアノの練習を一通り終え、その延長でテキトーに鍵盤を鳴らす。
それはまだ和音も調性もちぐはぐな即興音楽だったように思う。
一つ鳴らした音から、次に鳴らす音を考えるのが楽しく、そして一度奏でたものはすぐに忘れ、常に新しい気持ちで新しい音を作る感覚。
イタリアに留学し、そこで経験したのは言葉の壁であったが、外国語の壁というよりは、感情と言葉の間にある壁。
この「ありがとう」という気持ちを、grazie だけで伝えられるものなのか・・・。
そこで、私の中の気持ちを、音楽に乗せようと一つの歌を作った。
イタリア語である分、文化的にも言葉的にもより率直に言葉になる感覚があった。
イタリアで出会った人たちの中には、私が自分というものを知っていくことに多大な影響を与えてくれた人たちがいる。
今、時間が経って自分の言葉を読むと、この中の tu(君は)や ti(君を)等の二人称は、もしかすると ”自分自身” なのかもしれない。
”あなた” という存在の中に見た ”自分” 。
これはこれでありか。。(笑)
自分の言葉を自分で解釈しているが、正解はわからない。
イタリアでは旋律だけ作って、語学学校の最後の授業で歌った。
あらゆる感情のいざこざから、その当時、上手く言葉が発せなくなっていた私。
特に授業中は思考が交錯しすぎて、言葉は出ず、目の前の文字を音読するのもつっかえまくる。
でも、歌は歌えた。心と体が日常と違う方を向くから。
どんなに頑張っても言えない言葉が発せられた。
歌い終えると、何人かのクラスメイトが泣いていた。
あるクラスメイトは、「ぼくの友人も上手く話せないけど、歌える。歌ってすごいな。君の作った曲、気に入ったよ」と言ってくれた。
お世話になった先生も「言葉がグッときた」と喜んでくれた。
隣のクラスで授業をしていた先生も声をかけに来てくれた。彼女はその学校で、私の最初のクラスで教えてくれた先生だ。
みんなが聴いてくれた時、初めて私の歌が歌になった。
最近までこの曲はほったらかしにしていた。
どこかで歌うわけでもなく、棚の中で眠った楽譜になっていた。
思い出して和音をあてるように、伴奏を付けた。
note には、こういう自分の作ったものの記録の機能がある。
ということで、ここに曲を載せます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました😊
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?