うまくいかないときほど「がまんする」とは。我慢と忍耐。
うまくいかないときなんて、たーーーーくさんあるのが、人生。楽ばかり、楽しいことばかりではない。
よく無い出来事がじゃんじゃと襲いかかってくる時期、あるある。
昨日本を読んでいて出てきた言葉がタイトルにある言葉「うまくいかないときほど“がまん“する」という言葉だ。
我慢して、我慢して、心の病になってしまう人もたくさんいる現在。その中でこの文章を読んで何てこった!と思ったのが正直な感想。
我慢は体に良くない!と思っていたからだ。
そもそも我慢って?
私の考えていた「我慢」とは、やりたくもないのにやる、行きたくないけど行く。自分の心と反した道へ渋々進むときのように、本当の自分を押さえ込むことだと思っていた。
しかし、私の中で「いい我慢」と「悪い我慢」があるな〜と思いがあり、我慢という言葉の意味を調べてみる。すると、「我慢」と「忍耐」という言葉が出てきた。
そこには、このようにあった。
「我慢」辛いことから目を背け、自分の気持ちを抑え込むこと。
「忍耐」辛いことがあっても。それときちんと向き合い、苦しさをバネに自分の目標などに向かっていくこと。
私の思っている「いい我慢」は忍耐という言葉でも表現できる。忍耐は、自分の行きたい場所にきちんと進むための我慢だ。方向性が違うことをずっと我慢していたら病気にもなる。
我慢すべきときとは?
それでも生きていたら我慢しなければならないシチュエーションはたくさんある。その中でも、逃げてはいけない我慢すべきときというのもあると思う。
私にとってマラソンと似ている。
マラソンは(私にとって)辛い。だからこそ、一刻も早く止まりたいと常々思っている。
そんな私が3ヶ月後にフルマラソンに挑戦する。42.195キロを走る。そのためには練習が必要で、完走するということが私の目標。
その目標に向かって練習してく中で、10キロ走る!と決めたとき。ここは逃げてはいけない。(特別体調が悪いとかはもう諦めるが、、笑)
辛いが続ければゴールがある。自分の決めた10キロという目標がある。ここで逃げてはならない。自尊心のためにも何としてでもゴールする。
なんて思いながらいつも耐えている。でも耐えてその日の目標を達成できたとき、やり切った!!と心から思える。毎回逃げようかと思うが、我慢してよかったなと思う瞬間である。
長いトンネルにいた友達
仲のいい友達で、失恋の長い長いトンネルを進んでいた子がいる。付き合っているときも割とボロボロで、私と会って話すたびに泣いていた。別れた後も、泣いていた。失恋の直後に他の人に行って気を紛らわそう!とする人は多いし、私もしたことがある。しかし、この友達はそういうことは決してせず、ただ日々を過ごしていた。淡々と。
私は話を聞くことしかできなかったが、いつものようにひとしきり泣いた後「多分、もうすぐトンネル抜けそうなの」と話してきた。長くて暗くて光も全く見えないトンネルにいたそうだ、と。しかし、段々と光が見えてきたと話していた。
その後彼女は人生の大決心をして遠くに行った。トンネルを抜けた後の彼女は一段と強くなり、まっすぐになり、素敵になってトンネルを出てきた。きっとたくさん我慢したんだろうな、と話しか聞けなかった私は思う。
遊び呆けたくなっただろうし、連絡を取りたくなっただろうし。よく自暴自棄にならなかったと思う。でも、それは彼女の忍耐力の強さが物語っている。我慢の先にある光を体現しているのが彼女だ。
我慢と忍耐、これからの人生
我慢も大切、のびのびも大切。どっちも大切なんだなと感じる。
どちらかに偏っててもいけない。バランスよく。
我慢を続けることがどれだけ難しいかは、続けられている人の少なさが物語っている。
挑戦し続ける。挑戦をやめないということは、成功の道の上を歩んでること。
成功すると信じること、信じ続けること。
体を壊すほどの我慢は良くないが、苦しいときや辞めたいときこそ「いっちょ我慢ステージ突破してやりますか!」ぐらいの気持ちで、進んでいきたい。
この気持ちがタイトルの「うまくいかないほど“がまん“する」ということなのかも知れない。