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雨の降りはじめ

足取りがゆっくりになっていた。会社員らしき3人組が談笑しながら追い抜いていく。視界に入った景色を見つめながら、懐かしさとその後に浮き出た涙の気持ちが胸を押し上げる。目に入った建物の何かが昔見た記憶の紐をひっぱったようだった。
どんよりとした曇り空の下、クリーム色のやわらかな波線を描く壁と、入口に置かれた深緑のコニファーの鉢植えが2つ。


大学生の頃ロンドンの街を歩いたことがある。いつでも雲を残してにごった空色とぎっしり立ち並ぶ古い建物、くすんだ路上の車たち。そこかしこにある鉢植えや公園の緑が掠れたような景色にやわらかくなじんでいた。その雰囲気は日本人の私にはとても魅力的に感じられ、曇りがこんなに映える場所もあるんだなと思った。

大股で歩く人々の足はゴツゴツと音を響かせ、春先だと言うのに底の厚いしっかりしたブーツで通り過ぎる。一週間もすれば不思議には思わなくなった。やわらかい日差しの晴れの日に、しっかりつまめるほどのひょうやあられがバシバシ降るのだ。雨は予想のうちだが、あられとみぞれが多すぎ、聞いてないと思った。
足場が常に悪くなる天候、地下鉄とホームの間の落ちるために作ったような大きな隙間。あそこでシャキっと生きるにはあの靴が必要なのだろう。


こういう思い出を話すと、もっと些細な一切れであっても、彼は機嫌が悪くなった。眉間にしわを寄せて前方をにらみ、「あぁ」とか「ふん」とか言ったっきり黙ってしまう。彼の中のコンプレックスを刺激し、一方で私は楽しんでいる、というのは一層怒らせる要因になる。
彼が怒るということは、対岸にいる私は無知だ、わがままだ、出来損ないだ、最低の悪人だということになるらしかった。

遠慮のない蔑みの目で見据えられるのは、怖くて、悲しくて、情けなくて。長年のひきこもり生活から出てきて社会に追いつきたかった私は、彼の目を通して世間とクズの自分を理解した。
常に神経をとがらせていた。彼の顔色を伺いながら怒らせるリストを頭に入れていき、出来ないコトはどんどん膨れ上がった。


私がロンドンの街並みを思い起こさせる場所で泣きそうになったのは、懐かしさのせいではない。
あの頃、知らない国の雨に降られながら歩いていたときに持っていたもの。それが現在の私には見当たらなかったからだ。
何人とすれ違っても、日が傾いても、道に迷っても平気だった。孤独感なんて物心ついたときから持っていたけれど自分の足で歩けていたのだ。大丈夫という自信とか、尊厳とか呼ばれるような、軸みたいにあったものが今ではどこかへ行ってしまった。

無関係に笑う男性の声が耳障りに抜けていき、ビクついた私は追い越されるその瞬間目を見開いた。そこには何も攻撃性はないというのに、私の脳は恐怖というカテゴリに分類したらしい。またか。
10年ひきこもった生活が私をモロクしたのはよく分かる。それでも。


返してほしい。愛情とか呼ぶ行為で私から奪ったものを。
叫び声をあげて、拒否する意思を示したから、それで通り越したつもりでいた。何かが壊れてしまうからと、必死に守ったつもりでいて、それはもう壊れ始めていたのだ。
今ではどこにでもその恐怖心を見つけられる。むしろあの目つきやどうにもならない力の差を探し出そうと躍起になっているようだ。
少しの刺激で頭はぐるぐる回り、記憶がまた別の記憶をひっぱり上げて、おなじみの暗い気持ちを探し当ててくる。

また、リプレイが始まっている。
怖い。気持ち悪い。苦しい。私はバカだ。


今日これを書いているのは、もう秘密を大事に抱えて自分を守った気でいるのはやめようと思うから。気づかないふりは30年以上やってきて助けにはならなかった。
それらを苦しくない小さな欠片にしてここに置いていく。重荷を誰かと分け合うのにも似ているとカウンセラーは言っていた。
今の状態はずっとは続かない。
雨の降り始めたあの日によぎったモノたちはここに書き残して、私はまた新しい日を手に取って眺めていく。

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