ショートショート「note書籍化決定」
俺は喫茶店で人を待っている。
無駄に早く来てしまったのは緊張のせいか。
コーヒーのカップはとっくに空で、煙草も吸えない店である。することはなく、ただ店の入り口に目をやりながら、今からでも断ることは可能かな、などと往生際の悪いことを考えている。
何組か女性客やカップルが入ってきたが、俺の待ち合わせ相手ではなさそうだ。
約束の時間の5分前、店に男がひとり入ってきた。
短い黒髪。無難なスーツ。黒縁眼鏡。
男は店内を見渡してから腕時計を見やり、また店内を見渡す。
すーっと動く視線に合わせて俺はその男と目があう。
一瞬通り過ぎた目線が、ん?という疑問符つきの表情とともに戻ってくる。
少し驚いているようだ。
男は静かな速足で俺のテーブルに寄ってくる。
「失礼ですが、もしかして、ユキさんでいらっしゃいますか?」
「はい。そうです。」
「あ、はじめまして。わたくし古潮社の、こういうものです。本日は取材をお受け下さりありがとうございます。」
男は名刺を取り出して頭を下げた。
「あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします。」
俺は名刺など持ち合わせていないので、ただ頭を下げ、もう逃げられないんだなと早くも後悔していた。
「では、さっそくお話しを聞かせていただきたいのですが、その前に、てっきり女性の方だと思い込んでいましたので、すぐにお声をかけずに申し訳ありませんでした。」
やはり驚いた顔をしたのはその件か。
「ユキというのはペンネームですし、女性名とも限らないかと。」
「もちろんそうなんですけど、なんといいますか、文章も非常に女性的といいますか、あ、いや、女性的なんて表現は時代錯誤か、非常に繊細な文章をお書きになりますし、主人公が女性の作品が多いもので。勝手に女性であると勘違いしておりました。失礼いたしました。」
「まあ、フォロワーさんも、女だと思ってる人いると思うんで、別に大丈夫です。」
「では、本題なんですが、このたび、ユキさんがnote作品賞の最優秀賞を獲得されまして、書籍化が決定したわけであります。その書籍に載せる簡単なプロフィールのようなものを、今日は取材させていただけると嬉しいのですが。」
「はい。」
「まず、性別は明確にして大丈夫ですか?」
「まあ、それは別に、隠しているわけではないので。」
「はい。では、次に出身地などは?」
「東京です。」
「はい。では、学歴などはいかがでしょうか?大学で文学を学んでいたり?」
「あー大学は、早稲大学の情報工学科卒です。」
「早稲大学とは、高学歴ですね。情報工学というと…理系ですか?」
「あ、はい、一応。」
「おー、ときどきいらっしゃるんですよ。理系のエリートで小説も抜群にうまい方!天は二物を与えたってやつですね。」
売りになるネタと思ったのか男は嬉しそうだ。
「はあ。まあ。」
「では、noteを始めたきっかけは?」
「それは、友人に勧められたんです。小説も漫画もエッセイもとてもおもしろいと言われて、それで覗いてみたのがきっかけです。まさか自分が書くようになるとは、最初は思いませんでした。」
これは本当だ。
「それがnoteのいいところですよね。読んでいるうちにいつの間にか書きたくなって、いつの間にか自分が作家側になる。素敵な場所です。」
「そうですね。」
「では、note出身ではない方で、好きな作家はどなたですか?」
来た。こういう質問は想定していたが、下手なことを言って墓穴を掘るわけにはいかない。相手は小説文芸のプロなのだ。
「好きな作家ですか。うーん。選べないですね。あまり選り好みしないでいろいろ読むほうなので。」
「そうですか。強いてあげるなら?」
「うーん、夏目漱石ですかね。」
遠い昔、授業で習った名前を挙げてみる。
「おー純文学ですね。」
「あーはい。純文学です。」
純文学って何だっけ。
それ以上は聞かないでくれ、と祈りながら空になったコーヒーカップを手にとる。
「あ、失礼しました。何かお飲み物頼みましょう。」
ウェイターが来てコーヒーを注文する。これをきっかけに作家の話はもうやめてくれ、と願うしかない。
「では、最近読んだ本でおもしろかったのはありますか?」
まだ本の話かよ。まあ仕方ないか。本を出版するんだもんな。
「それが、自分がnoteで執筆を始めてから、すっかり読書と遠ざかってしまって。なんていうか、書いてるときは読めないっていうか、自分の作品に集中してしまうんです。」
「そういうものですか。その集中のおかげで、最優秀作品に選ばれ、書籍化も決定したわけですから、素晴らしいものです。」
「あぁはい。ありがとうございます。」
その後もいくつか質問が続き、俺は何とか無難に答え、取材とやらを終わらせた。
帰宅するなりばたりとベッドに倒れこむ。
疲れた。
汗でシャツがべたりと背中に張り付く。
「自宅で取材したい」と最初にメールが来たときは「絶対に無理だ」と断るつもりだったが、「喫茶店なら」というこちらの要望を飲んでくれたんだ。今日を切り抜けられれば、もう大丈夫だろう。
この部屋に出版社の人を入れるわけにはいかないだろう。
机に置かれたPCと青軸キーボード。
壁際の本棚には純文学どころか小説なんて一冊もない。実用書と専門書だけだ。
俺はnoteに掲載されている作品でさえ、ちゃんと読んだことがないのだ。
俺は、俺の小説が書籍化して出版された今後も、絶対に言えない。
noteの全データをAIに読み込ませ、フォロワーの多い順、スキの多い順に多用されている言葉を選別し、そこから自動で小説を作れるソフトを開発した、なんてことは。
《おわり》