雑記:いつまでコロナ禍を書かないか問題。
新型コロナウイルスが流行し始めてから、ちょうど2年くらいでしょうか。新しいオミクロン株なるものも出現して、未だに収束の目処は立っていません。
私の身近でも感染者はいて、ありがたいことに軽症で済んではいますが、いつどこで感染してもおかしくない状況にあると言えるでしょう。
そこでね。
ちょっと考えちゃうんですよね。小説のことを。
私はつたないながらも趣味で小説を書いていますが、私の書く小説の登場人物たちは、コロナ禍を生きていないんです。マスクもしていないし、ソーシャルディスタンスも保っていない。手指消毒もしていないし、おしゃべりしながら外食しています。
コロナ禍に焦点を当てた作品だったら、コロナのことはもちろん書きますよね。コロナ禍で仕事を失った人の物語なら、コロナ禍を書かないで何を書くの? となります。当たり前ですよね。で、SFやファンタジーなら、書かなくていいでしょう。そもそも、現実に起りえないことを書いているのですから、現実に則っていなくていいんです。
じゃ、何気ない普段の生活を書く小説だったら、どうです?
私は今、何気ない普段の生活を送っている人々の物語を書いています。登場人物たちは、仕事をしたり、食事をしたり、泣いたり笑ったりして生活しています。その中に、現実のニューノーマルといえる今の新しい生活様式をどこまで反映させるべきなのか。難しいと思っています。今のところ、新様式は全く書いていないので、今書いている作品は、コロナ禍前の日々の物語ということになります。でも、今後も小説を書き続けるとした場合、こんな歴史的なパンデミックを、なかったことにできますかね?
最近読んだプロの方の小説でいうと、有栖川有栖先生の新刊「捜査線上の夕映え」は、コロナ禍がしっかり書かれていました。でも、前述したような、コロナ禍に焦点を当てた、コロナ禍だから起こり得た事件を書いているわけではないんですよ。ただ、この令和の時代を正確に書くために、コロナ禍の正確な描写がされていました。
そこには賛否があって
「小説の中くらいコロナを忘れたい」
という意見と
「(登場人物と)同じ時代を生きている実感が持てて嬉しかった」
という意見がありました。
私の小説はたかが趣味です。だから、時代を正確に書く必要はないのかもしれません。でも、例えば今、会社の風景を書くとき、みんなが煙草を吸いまくって部屋が煙でもくもく、なんて描写したら、いつの時代? ってなりますよね。例えば今、主人公が急な連絡をしたくなって公衆電話を探しに走ったら「携帯電話持ってないのかな?」ってなりますよね。コロナ禍も、もうそうなっているんじゃないかと思うのです。
じゃいつまで避けて書くの? と言われたら、わからないのです。コロナが収束すれば済むこと、としか言いようがなく、じゃいつ収束するの? と聞かれたら、そんなこと誰にもわからない、としか答えようがありません。コロナ禍ではない生活をしている登場人物たちが、「小説の中、という世界線に生きている」と言えば聞こえはいいですが、一昔前の人たち、過去を生きている人たちになってしまう感覚も、同時にあるのです。
私はいつから登場人物たちにマスクを装着させるのだろう。そんなことを考えながら、パソコンに向かう日々です。
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